前回までのストーリーです。
母に素直な気持ちを伝えた私は、父親とも、いろんな話をしてみたいと感じました。
私の父は、無口な男性です。小さな頃からとても優しくて、どんな私でも受け入れてくれる父でしたが、父の方から積極的に私に話をしてくれたり、私を褒めてくれるということはほとんどありませんでした。
何気ない会話をすることはありましたが、父の考えや心の中で感じていることについて、私はほとんど何も知りませんでした(ということに、大人になって気づきました)
私は、父を誘ってある喫茶店に行きました。そこで、私が母親と話をしたこと、母親に対して感じていたこと、小さな頃の悲しみや辛さ、今感じていることなどを、照れくささがありながらも、父に伝えてみました。
そうしましたら、私はびっくりしました。
無口だと思っていた父親ですが、実は私が父に対してそう思っていただけで、話し始めてみますと、驚くぐらい次から次へと、いろんな話をしてくれました。(こちらも、なんだか、拍子抜けしてしまい、父親に対して構えていた自分を笑ってしまいました)
父も、私と話がしたかったようです。
父と話してみて分かりましたのは、父は無口だったというよりも、母親が私を否定するように父の言葉を否定することがあったことで、父が家庭で話をすることが嫌になっていたということです。(ですから、無口に思えたのは父の性格ではなく、無口でいるしかなかったという感じだったようです)
父との対話の中で、私が知らなかったことを、たくさん知ることができました。
父の幼少期のこと。父は、家が貧しかったため、仕事で忙しかった両親にほとんど構ってもらえずに育ったそうです。多忙な両親が家にいることが少なくて、年の離れた兄弟に育てられた父は、物心着いた時から、自分の言いたいことやわがままを誰にも伝えたことがなかったとのことでした。
昔の方には共通することかもしれませんが、着ている服がボロボロだったり、お弁当にはおかずなしの白いご飯だけが入っていたり、休日にはどこにも連れて行ってもらえなかったり、悲しい記憶が多いと教えれくれました。
母親が病弱だったそうで、母親の記憶といえば、お部屋に寝ている姿がほとんどで、小さな頃から、母の近くには行かないようにと兄弟から言われていたということでした。そんな母との思い出が、父にはほとんどないということを、私は、この時に初めて知りました。
そんな父は、両親からの愛を感じたという経験がほとんどなかったようで、いつも寂しくて、いつも我慢ばかりだったと教えてくれました。
父も、私と同じで、自分の母親からありのままに愛された、認められたという実感がなかったのだな・・・・、と思いました。きっと、父のお母さんも、病弱でありながら、父のことを愛していたのでしょうが、病気だったために、父を抱っこしたり、父の話を聞いてあげたり、ということができなかったので、父にしてみれば、「自分は愛されていない」という思いを強めてしまう幼少期だったのでしょう。
その後父は家を出て、様々な職業を転々として、なかなか安定した生活を送れていなかったと教えれくれました。そんな状況で、母と出会い、私が生まれた時に、父は、「子供を授かったことは嬉しかったけれど、自分が愛された記憶がないので、どう子供と接していいのか分からなかった」という気持ちだったそうです。
父は、私と母が、喧嘩をしたり、仲良く出来ていないことをなんとなくは感じていたそうですが、それを知っても、どうすることもできなかったそうです。「愛情をかけてあげらえなくてごめんね」と、父が言ってくれました。
父にとっては、娘の私に対して愛を感じていても、どうして良いのか分からず、その分、仕事で収入を得て家族を養うということが、父にとって精一杯の愛情表現だったのだと理解できました。
無口で静かだと思っていた父が、むしろ、饒舌な感じでたくさんの話をしてくれて、そんな父の飾らない、隠さない姿を見れたことが、私は本当に嬉しかったです。
小さな頃、父は言葉や態度であまり表現してくれなくても、私は、父の優しさや愛を、父の眼差しや手のぬくもりなどで感じていたのだなと思い出しました。
無意識にも、父が私にとっての理想の男性像のイメージになっているのだ、と感じられました(私は、どちらかというと、無意識でクールな感じの男性に惹かれることが多かったです)
この話をして時から、父と話す機会がとても増えました。父の子供の頃の話や、若い頃の恋愛の話、母との出会いや私が生まれてからのことなど、今までは聞いたことがなかったような話を聞いて、父のことをより理解できることは幸せなことだと思っております。また、父の考え方や性格が、私の現在にも影響を与えているのだなとありがたく感じております(父も、本を読むことや文章を書くことが昔から好きだったそうです。私がブログを継続できているのは、父のお陰かもしれません)
私は、両親とそれまでにしなかったような話をしたことで、両親についてのことはもちろんですが、何より、自分自身の姿について、知れたことがたくさんありました。自分が短所だと持っていたようなことも、長所だと自信を持てていたことも、ほとんど全てと言って良いほど、両親の影響を受けていたということは、やはり、自分では知らないところで、両親は精一杯、私のそばにいてくれて、私のことを見守り、愛を贈ってくれていたのだと実感できました。
読んでくださっている皆さんも、ご自分の愛の源であるご両親と、ぜひ、いろんな話をしてみてください。もし、お父様、お母様が天に召されていらっしゃる方は、親戚の方、かつてお世話になった先生、兄弟、従兄弟とお話することで、ご両親のことや皆さんのことを知ることができるのではないかなと思います。
彼との出会いがあり、彼と離れ離れになり、まさか、そのことが、私と両親との関係性を変えるものとは思ったことがありませんでした。しかしながら、両親と関係性をどうにかしたいと心の中では願っていた私です。その願いが、こうして不思議と叶ったことに、やはり、宇宙の神秘を感じた私でした。
両親と素直な気持ちで話したことのなかった私にとって、両親と心を開いて話せたことは、心の内側にあった重い石が一つなくなったような、そんなすがすがしさがありました。
愛を感じられなかった両親は、いつも私を愛してくれていた。
このことは、「私が愛を感じない相手」でも、私がそう思っているだけで、私を愛してくれているということがある(それどころか、見えないところで深く強く愛してくれていた)のだと、私の脳内ルールを変える、大きな大きな転機となりました。
私は、それまで以上に、「不完全でも、ありのままの私でいいんだ」「私は、ただここにいるだけで価値のある存在なのだ」という思いを強めました。ですから、我慢せず、自分を飾らず、大きく見せようともせず、人からの評価のためではなく、ここにいるありのままの自分を大切にして生きていこうと思いました。
そうしますと、不思議と、仕事においても、日常生活においても、何も頑張っていないのにスムーズに楽しく生き生きと、かつ心穏やかに過ごすことが増えました。行きたかった場所になぜか行くことができたり、会いたかった人から突然連絡が来たり、欲しかったものが手に入ったり、ずっとやりたかったことをやる機会に恵まれることが増えました。
ただ、この時の私は、願いが叶ったことに対してだけ特別に喜ぶということはほぼなくなっていました。
なぜならば、何気ない日常生活の中に、たくさんの愛や奇跡を感じておりましたので、ただ自分がありのままで過ごしていることがとっても心地よかったからです。願いが叶うことはもちろん嬉しいことでしたが、日常生活のいわゆる「普通」の生活にも小さな幸せと喜びを実感していましたので、その延長上にすべてがある感じで、また、どれも特別であり、どれも唯一無二の経験だと思えていたからです。
感覚としては、宇宙の流れに身を任せ、ただその流れに乗っている。そんなシンプルでありながらも、温かな幸せを感じるひだまりのような毎日でした。
それは、すべてが思い通りにいく、ということではなくて、たとえ思うようにならないことがあっても、私が私のありのままの価値を感じられていて、どんなことも愛の糧なのだと思えている(つまり、すべては宇宙の采配で起きていると信じられている)ということです。
がんばらなくていい毎日は、常にがんばって生きていた私にとって、見違えるような世界に来たような、ありがたい毎日だと実感する日々でした。
つづく。
(次が、私のストーリーの最終話になります)
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