私自身のことでしたが、ひとつ前の記事を読んでくださりどうもありがとうございます。
この記事を読んで、こんなコメントをいただきました。
「hanabiさん!驚きました‼️ 自分が絶望の中におられたのに、 「今の絶望が、いつか必ず誰かの役に立つ時がくる」 そう思えたなんて。。。 もう 信じられないほど、驚きました。 」
ありがとうございます。
私は、なにか明確な理由や見通しがあって、こう思えたのではなかったのです。むしろ、状況的には、光も見えない、ただ過ごしているだけで辛すぎる、という絶望的だったので、その中で、これを信じて、と思考として強く思っても、信じられないような状況だったと言えるでしょう。
ですが、私は、ただ、宇宙からのメッセージのように届いたこの言葉を、なんの理由もなく、シンプルに信じたのです。なんの根拠もなく。根拠があるとすれば、ただ、私が信じたかった、ということです。
愛すること、人を信じることに、根拠は必要ありません。
ちょうど、セッションにてそんなやりとりをしておりましたので、自己変容プログラムを受けてくださっている懸命な女神とのやりとりをぜひご覧くださいませ。
懸命な女神からのメール①です。
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確かに私は誰からも愛されないと思ってます。愛されない人間は、どんなに有能でも、心が綺麗でも、価値がないと思っています。
それが『愛されたい』を『愛されてもオッケー』になるなんて、思い付きませんでした!
だって愛されてないんだもん。
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何度かやりとりさせていただいて、その後のメール②です。
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私に足りなかったのは、根拠のない自信?
根拠がなくても愛されてオッケー!という感じでしょうか。
もうね、諦めて『愛されてもオッケー』にしますよ(笑)
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根拠がなくても、自分が愛されてもいい、と思っていただけて良かったです!
私たちは、情報化社会になってから、どんなことも調べられる環境になりましたから、自分の感覚的なことよりも、ネットなどの情報を頼りにしているようなところがありますよね。
でも、根拠や明確な理由がなくたって、感覚的にそう思える、ということは、実は、人に与えられている能力なのです。
ネットや本がなかった何十年、何百年前の時代には、外からの情報よりも、そのような、目には見えない感覚に頼るしかありませんでした。つまり、もともと、過去には、はっきりと明確にならないことのほうが多かったのではないでしょうか。
愛すること、人を信じることに、根拠は必要ありません。
どうぞ、ご自分のハートに湧いてくる思いを大切になされてください。
根拠は、「あなたがそう信じる」ということ。愛したいから愛する。信じたいから信じる。それほど素晴らしい根拠がほかにありますでしょうか。
愛されそうだから、愛してもらえるから、愛するのではなくて、愛とは、自分から愛するという、能動的なあり方のことだからです。
皆さんが、「私は愛される女神」と信じることになんの根拠もいりませんので、どうぞ、そんなご自分であると深く信じてあげてくださいね。
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5月のセッションについてはこちらからお願いいたします。www.twinrayhanabi.com
これまでいただいたセッションのご感想です。すべてのご感想は、「ご感想」カテゴリーからお読みいただけます。(セッションの効果、ご感想には個人差がございます)
お電話セッションのご感想①
お電話セッションのご感想②
メールセッション(自己変容プログラム)のご感想①
メールセッション(自己変容プログラム)のご感想②
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