ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

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真実の愛を目指さない

いつもコメントありがとうございます。

 

 

皆さんからのメッセージを読ませていただきますとね、変われた、気づけたという報告が嬉しいことはもちろんですが、皆さんはこんなことが辛いんだな、とか、こういうことに迷われているんだな、ということも気づかせていただけています。

 

 

 

今日は、「真実の愛」についてお伝えします。

 

 

 

皆さんは、真実の愛を目指さなくていいです。

 

 

 

いや、正確には、もちろん目指すのですが、「真実の愛が、私の行き先だ」と分かったのならば、それを、カーナビの目的地に入力するように、ご自分にインプットして、そのことは、もう、忘れちゃって大丈夫です。宇宙のコインロッカーに預けてしまってください。

 

 

 

そして、皆さんは、真実の愛という境地を、今、目指すのではなくて、目の前にある課題に取り組む、という実践をなされてください。

 

 

 

 

真実の愛とは、山で言えば、山の頂上です。皆さんが、例えば、3号目ぐらいを登っている時に、頂上のことばかり気にかけるということはしませんよね。

 

 

 

山登りでは、その時々で、一歩ずつ足を前に出して、疲れたら休み、お腹がすいたらご飯を食べ、また一歩ずつ歩き続ける。その繰り返しです。そして、それらを淡々と繰り返した先に、いつの間にか「あ、もうすぐ頂上だ!」というところまで、距離が縮まっているんですね。

 

 

 

そのことと、真実の愛を目指すことは同じことで、頂上のことばかり考えるのではなくて、とにかく、一歩ずつ、足を前に踏み出す、その実践です。

 

 

 

 

真実の愛に到達しようと思うと、かえって、今が辛くなったり、ありのままでいられない、ということが起きやすいです。(それが、皆さんからのコメントで分かりました)

 

 

 

また、私は無償の愛で彼を愛せない、とか、無条件にゆるせない、という風に、ご自分を責めることにもつながりやすいです。

 

 

 

 

「真実の愛は無償の愛だから彼をゆるそう」

「彼のどんなことでも受けいれる」

「私は、彼のすべてを理解できる女性だ」

 

 

 

こう思いますとね、自分の本音を感じられなくなったり、自分よりも相手を優先する、ということが起きやすくなってしまいます。延いては、よけいにありのままでいられなくなり、辛い状況が続いてしまいます。

 

 

 

ですから、真実の愛を目指さなくていいです。

 

 

それは、勝手に、そこに近づいていくものだからです。

 

 

 

今は、ご自分にウソをつかずに、我慢しないでいられるようになること、そして、脳内ルールについて考えること。これを、山登りのように、一歩ずつ、足を前に進めてくださいね。

 

 

 

 

 

「真実の愛じゃなきゃダメだ」という脳内ルールではなくて、「私は私の愛し方がある」と思ってみてください。色々みえてくると思いますよ!

 

 

 

どんなに小さな一歩でも、確実に頂上に近づいています。頂上の景色を楽しみに、今は、ご自分の場所から見える景色を楽しんでください。

 

 

 

 

皆さんは、愛に深い女神です。ご自分の内側にある愛がどんな愛なのか。真実の愛、というフィルターを通さずに、ご自分の愛を眺めてみてください。