ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

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愛の窓は、肯定の窓

 

愛に熱心な女神からコメントをいただきました。

 

 

 

同じように思っていらっしゃる女神が多いと感じられますので、ぜひ、この記事をじっくり読んでくださいね。

 

 

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ありのままの私って、今のわたしなんですよね。 けど、その私はあまり自分が無いんです笑。

 

 

 

一人でいるときは、出来るだけほんとは自分がどうしたいのか、と対話しながら選択するようにしてますが、それでもよくわからず混乱してしまいます。

 

 

 

 

あーわたしってここまで自分がなかったのかーと、、、、 そんな自分は好きになれないし、嫌いだし、特別でいたかったし、それすらも我慢していたけど、、、自分でない誰かになりたくて仕方なかったし、幻想にしがみついていたかったし、、、 なんか、自分として生きるのが、もうすぐなのに、嫌でしかたありません。

 

 

 

 

危険だし恐いし、ありのままの自分は自分が無さすぎる!

 

 

 

hanabiさんにこうしてコメントすると、書くだけでも気持ちが落ち着きますし、実際、これをきっかけに前に進めることも多いのです。)ほんとすごい、、、) 自分も壁を越えれたらいいと思います。 またすっきりしたご報告できればいいなと思います。 寒さも続きますので、お身体ご自愛くださいませ!

 

 

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ありのまま=たった今の自分

 

 

 

ですよね。

 

 

 

 

その、ありのままの自分を嫌だとか、自信がないというのは、なぜなのでしょう。

 

 

 

 

ありのままが、そのままで良いのですから、その、自分を嫌だな、とか、自分には自信がないな、とか、自分がないな、と思う自分すら、そのままでいいや、と思って大丈夫なんです。

 

 

 

 

 

そして、自信がないとか、今の自分を嫌ってしまうのは、自分の脳内ルールによって

 

 

 

 

〇〇な人は素晴らしい

〇〇な人は素晴らしくない

 

 

 

 

と決めてしまっているからです。

 

 

 

 

でも、〇〇は素晴らしいとか、〇〇は素晴らしくないとか、それって、本当に正しいことでしょうか?

 

 

 

 

 

例えば、私は積極的じゃなくて、消極的なところが嫌だ、と思うとします。

 

 

 

 

 

しかし、世の中に、積極的な人が素晴らしくて消極的な人は素晴らしくない、という規定があるわけではありませんよね。

 

 

 

 

 

嫌な気持ちになるときは、自分で自分を裁いてしまっているだけなんです。

 

 

 

 

 

もう、すべてのすべて、自分のことを、徹底的に、まるごと「それでオッケー!」にしてみてください。

 

 

 

 

 

自分がなくてもオッケー

自身がなくてもオッケー

自分が嫌いでもオッケー

理想の私じゃなくてもオッケー

 

 

 

 

 

そんな風に、「否定の窓」ではなくて、「肯定の窓」から、ご自分を眺めてみてください。

 

 

 

 

肯定できないとしても、とにかく、肯定の窓から眺めてみる練習をするのです。

 

 

 

 

 

そうしますとね、また違った自分の姿が目にうつるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

まったく同じ景色でも、まったく同じ姿でも、違う窓から眺めると、違うものがみえてきます。

 

 

 

 

建物から見える景色も同じですよね。窓が異なれば見える景色も異なるのです。

 

 

 

 

 

 

 

素敵なコメントをありがとうございました。いつも何度も書き込んでいただき嬉しく思っています。あなたのその地道なコメントを書くという行動が、じわじわとあなたを変えていきます。どうぞ宇宙の愛を信じて、これからも行動し続けてください。あなたはそう思えなくても、あなたもすでに女神であること、私はちゃんと分かっておりますよ!