ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

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誰かを批判したくなったら2

 

「目の前にいる相手の嫌なところは、自分の嫌なところ。」

 

 

 

それを認めるのは、なかなか簡単なことではないかもしれません。

 

 

 

 

それに、

 

 

 

 

私はあんな人と同じような頑固なところなんてない

 

 

 

 

私はあの人みたいに失礼なことはしない

 

 

 

 

と思うかもしれませんよね。

 

 

 

 

しかし、皆さんが、嫌な人だな、と思っているその人も、自分は相手にとって嫌なことをしている、などと、毛頭思っていないのです。(思っていたらしませんよね)

 

 

 

皆さんは、その人を、ひどいとか、ダメだ、と判断するかもしれませんが、当の本人は、それがひどいことだとか、ダメなことだと思っていないからこそ、そのような態度をしてしまっているのです。

 

 

 

 

人は誰も、相手にとってわざわざ嫌な存在になりたい、とは思いませんよね。

 

 

 

 

そうではなくて、誰もが、「相手から好かれたい、相手から愛されたい」と思っての行動なんですね。

 

 

 

 

それが、結果的に、皆さんにとっては、嫌なものになったり、ダメなものに見えてしまっている、ということなんです。

 

 

 

 

わざと嫌われよう、と思ってしてることってほとんどない私は思っています(たとえ、仮に嫌われようと思ってした行動でも、その根底には、誰かに愛されたいと思うからこそ、そのような態度になってしまっている、ということです)

 

 

 

 

ということは、私たちは、自分が気づいていないだけで、相手にとっては、嫌な行動、ダメな行動、というものを自分もしている可能性がある、ということになります。

 

 

 

 

それを教えてくれるのが、相手の姿なのです。

 

 

 

 

 

なぜ、まったく同じ人に対して、その人に何も思わない人と、頭にくる人がいるのでしょうか?

 

 

 

 

それは、その人に頭にくる要素があるわけじゃなくて、それに「反応」しているのは自分だからです。

 

 

 

 

例えば、動きの鈍い人が頭にくる、ということは、動きが鈍いのはダメだ、という脳内ルールをもっているという証です。

 

 

 

 

脳内ルールは、相手を裁くだけでなく、自分のことも同時に裁いています。

 

 

 

 

ということは、動きの鈍さを嫌っている場合、自分の動きの鈍さを、常に裁いている、ということになります。

 

 

 

 

これが、相手に文句を言いながら、実は自分自身に対する文句だ、ということなのです。

 

 

 

 

もし、あなたが自分の動きの鈍さを受け入れてジャッジしていなければ、相手の動きの鈍さを目にしても、何の反応もせず、素通りできてしまいます(そのうち、相手が鈍いかどうかも気づかないぐらいになります。それほど、相手の鈍さがまったく気にもならない、というこです)

 

 

 

 

 

 

そう考えますとね、頭に来る人、イライラさせる人、というのは、実は、自分で見えていない自分の姿に気づかせてくれる大切な人、ということになります。

 

 

 

 

 

相手に対して嫌だな、と思ったら、「今こそ、自分を直視するチャンスが来た!」と思って、相手のどんなところが嫌なのか、なぜそれに反応してしまうのか、自分の中に似たところはないか、じっくりご自分を見つめてみてください。

 

 

 

 

 

相手の嫌なところが自分の中にもあると認めることは、とても苦い薬を飲むようなものですが、その苦さを通り越してしまえば、驚くほどの気づきがあって、相手に対して感謝せずにはいられなくなるのです。

 

 

 

 

 

 

やはり、すべては愛ですね。