こんばんは。hanabiです。いつも私のブログを読んでくださいましてありがとうございます。
先日、私は靴を買いに行きました。私は普段、ハイヒールを履く機会も多く、ヒールの高さは7センチから9センチと、やや高めのハイヒールを履くことも多いです。
ハイヒールを履いていることが当たり前だったのですが、ふと、お仕事ではない時には平らな靴を履いてみようかなと思い立ちまして、先日、今まで一度も履いたことのないような、柔らかな皮の、フラットな靴を購入しました。
そして、最近、その柔らかなペタンコ靴を履いているのですが!
なんと、あまりにも、足が楽チンで、歩きやすくて、足が軽くて私はびっくりしています。
ヒールを履いている時は、それに慣れているので、足が痛く感じませんし、違和感も感じませんし、むしろ、ヒールが高い方が気持ちが高まるところがありまして、好んでハイヒールを楽しんでいました。
しかし、その靴を脱いで、つま先に靴先が当たらない、そして、踵が高くならない靴を履いてみましたら、その、あまりの履き心地の良さに感動を覚えるほどでした。
今まで、どれほど窮屈な靴に足を押し込んでいたのかと、靴を変えて初めて痛感したのです。
ハイヒールを履いている時には気付くことができないことでした。靴を別のものに変えてみて、実際にそれを履いてみて、その時に強く実感できたのです。
これは、実は、私たちの思考パターンによく似ています。
私たちは、普段の生活の中であまりにも慣れてしまっていることには気付かない、気付けない、という脳の特徴があります。
例えば、日本車は右ハンドルが一般的ですが、右ハンドルの車の存在しか分かりませんとね、車とは、右ハンドルの車しかないものであり、それが当たり前だ、それ以外は存在しない、と思ってしまいます。
左ハンドルがあることに、気付こうとすら思えないのです。
皆さんが、もし、いつも同じようなことで悩んでいたり、いつも同じことで頭がぐるぐるしたり、何ヶ月経過しても、ずっと目の前の状況が変わらずに停滞しているような状況だとすれば。
それは、この世界には、左ハンドルの車が存在するのだ、と、見えなくなっているからかもしれません。
いつも悩んでいる人は、悩んでいることが当たり前になります。
いつもうまくいかない人は、うまくいかないことが当たり前になってしまいます。
いつも何かに我慢している人は、当たり前のように我慢してしまい、そのことに自分で気づいていません。
いつも本音を言えない人は、当たり前のように本音を隠すので、本音を隠す自分のほうが普通になってしまいます。
いつも愛を求めて満たされない人は、その、求めていることがあまりにも普通になってしまって、愛を求めている自分の姿とは違う自分が存在しうるのだ、と、気付けなくなっています。
履き慣れた靴とは全く違う、履き心地の良い靴が、この世界にはごまんと売られているのです。
自分にとって、当たり前になっていることには気付きにくいのですが、それに気付くためには、今までと同じ行動だけしてては見えてきません。
ですから、お掃除にしろ、靴を磨くことにしろ、気持ちをノートに書くことにしろ、これまでと違うことを行動する、という、具体的な実践が人を変えるのです。
今までと異なる行動を、できるだけしてみてください。
皆さんもぜひ、今までは履いたことのなかったような心地の良さそうな靴を、思いきって履いてみてくださいね!