自己変容プログラムを受けてくださった可愛い女神からのメッセージです。
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hanabi様
お返事をありがとうございました。
本当にわたしは、hanabiさんとう存在がいなかったら一体どうなっていたのだろうと本当に恐くなります。未だにミイラ状態。今の仕事さえできていなかったように思います。
寝れないまま毎日目を充血させて、胸の痛みがいったい何によるものなのかもわからず苦しみもがいて余計に頭が狂って職場でも変な人扱いをされアルバイトさえもできない。。。
そうなっていたような気がします。
「愛とは求めるものではなくて互いに与え合うものだ」
ということを、とある男友達に、3年以上も前に言われたことを思いだします。
その当時は、彼の言っていることを頭でなんとなく理解できても、実際に自分の日々の生活に落とすことはできず、そんな自分を責めている時期もありました。
でも、いまなら何となくわかってきた気もします
愛とは与え合うもの。
でも、人に与えるためには、まずは自分で自分の内側を、自分の力で満たす必要がある。
その仕組みを、いま、少しずつ理解できており、また実生活に生かせている気がして嬉しいです。
いつも多くの気づきをありがとうございます。
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私のブログを読んでくださるお優しい皆さんは、愛する相手の方に、自分の愛を与えたいと思われていらっしゃる方ばかりだと思います。
愛とは、互いに与え合うもの。
では、なぜ、愛は与えるものであるはずなのに、与えても苦しくなったり辛くなってしまうのでしょうか。
また、本来、愛とは与えるものとは分かっていても、相手に愛をもらいたいと思ってしまうのでしょうか。
その理由は、皆さんが何かを与えるためには、自分が溢れ出ていることが前提だからです。
例えば、砂漠で皆さんの喉が渇いているとします。
皆さんの手にしているコップに、水がほんの少ししか入っていないとします。
自分のコップの水がほんの少ししか入っていなくて、自分も喉が渇いている時。相手に水を与えるのは、心からの喜びにはなりません。自分も、コップの水を強く求めているので、相手に与える余裕がありません。
もし、皆さんのコップから、泉のように水が溢れ出ているとします。そしたら、皆さんの喉を潤すこともできますし、自分も満たされるので相手に心置きなく水を差し出すことができます。
相手に愛を与えるためには、皆さんが溢れ出ていることが前提です
もし皆さんが喉が渇いたまま、自分に余裕がないままに、コップの水を相手に差し出したとしても、受け取る方は、心から幸せに受け取れないからです(逆を考えれば分かると思います。皆さんも、余裕のない相手からの何かを幸せに受け取れませんよね)
もし、皆さんが溢れ出るほどの水を持っていたら、相手は喜んで皆さんからの水を受けとめることができるでしょう。
与えるためには、皆さんが溢れていることです。
与えるためには、皆さんが満ち満ちていることです。
そのためには、皆さんが与えるべき人は、まずは皆さん自身です。
皆さんの愛を、優しさを、思いやりを、ご自分に対して全力で贈ってあげてくださいね。
皆さんがご自分の愛で満ちた時には、誰かに何かを与えようとしなくても、勝手にその愛がこぼれ落ちて、周りの人に自然に届いていくことでしょう。
素敵な満月の夜になりますように。
愛の大女神より