こんにちは。hanabiです。いつも私のブログを読んでくださいまして、ありがとうございます。
相手と理解し合うことについて。
2人の間になにか問題がある
彼とぶつかる
相手に対して理解できないことがある
ということを、「ダメなこと」ととらえていらっしゃる方が少なくないな、と感じられます。
理解し合うこと、共感し合うこと、分かりあうことが、あたかも、どんなこともお互いに無条件で受け入れることだと思われているように感じられます。
私たちは、誰もが、別々の個性を持つ存在であり、それは、大切なその人も同じです。
すべて、全部が同意見であることが大切なのではなくて。
お互いに、違う人間だし、違う意見もあるし、相手に賛同できないこともある、と、認め合うことが、真に理解し合うことです。
つまり、あなたのその考えには理解できない、ということがあっても良いのです。
認めたくない、と思っても良いのです。
たとえ意見が食い違っても、たとえ相手の考えで理解しかねることがあっても、それは人間として、ごく当たり前の姿です。
意見が異なったとしても、その人の存在が変わるわけではないので、意見が違う者同士、相手の意見から気づいたり学んだりしていくことができますね。
自分の意見とは違うときに、相手を優先したり、相手を優先したいために、自分の意見を抑圧して相手に合わせることは、表面的には相手を理解しているように見えますが、ご自分の心は納得しませんよね。
私はあなたのその意見は嫌い
私はその意見は理解しがたい
と、伝え合うこと、そして、お互いに意見が違っても良いと認め合うことが、真に理解し合うことだと私は考えます。
人の歴史では、これまで、意見が違ったり、ぶつかり合ったり、議論するからこそ、新しく生まれたものもたくさんありますよね。
いつも同じ意見であることよりも、違う意見を交わし合うことの中に、その2人だからこそ産むことのできる、お互いに自分の中にはなかった第3のなにかを見つけていくことに、喜びがあるのではないでしょうか。
意見が異なることを恐れず、相手に賛同できないことをダメなものとせず、自分の考えや意見を持つことに、むしろ誇りを持ってください。
理解し合えたら、嬉しい。
理解できないことがあっても、伝え合うことで気づきや学びがあって嬉しい。
それは、新しい道が生まれうる可能性があるということなのですから。
だからこそ、細やかで丁寧な対話が大切ですね。
じわじわの対話を大切に。相手との対話も、ご自分との対話も、です。