少し前にメールセッションを受けてくださった方からのコメントをご紹介いたします。
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これから、いつもする家事、そして昨日はしなかったこと(どこか一つでも一部分でも片付ける)、hanabi さんのブログを読む、ノートに書くか、コメント投稿するか、携帯瞬間日記アプリに書く、自分が楽しいことをする、祈る、これを毎日続けることを、心掛けてていきます。
そして私が愛そのものだと、様々な角度から見て、それを知っていきたいです。
昔みたいに、綿密な計画を立て、自分を追い込んだり、厳しく責めたりせずに、緩やかに自分の目の前の課題を、完璧にできなくても丁寧に、柔軟に取り組んでいきます!
hanabi さん、今の私は、特別に派手で華やかな出来事なんて起こってないけど(どちらかというと、世間一般でいう、災難続きですが 笑) でも、私 今まで生きてきた中で、今の自分が1番楽で、付き合いやすくて、居心地よくて、可愛らしくて、大好きかもしれません。 そうして、この地味〜な毎日が、とても楽しいです(^^
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素敵なメッセージですね!毎日私のブログを読んでくださり嬉しいです。
地味な毎日が、なぜ、そんなにも楽しいのかお分かりでしょうか?
地味な反対語は、派手、です。私たち人間はは、地味で小さな生き方よりは、派手なこと、目立つこと、大きいこと、誰かに評価されること、誰かにすごいねって思われること、他と比べて優れていること、これらのほうが素晴らしい、と捉えられがちではないかと思うんですね。
愛についても、小さな愛よりは、壮大で、幻想的で、他の人の愛よりもすごくて、運命的で、神秘的で、激動であることが、より優れた愛だと感じやすいのではないでしょうか。
派手さ、大きさ、優れていること、というのは、すべて、他者との比較の上で成り立っています。派手ではない、小さい、という対極がなければ、派手さは存在できないのですから、比較してはじめて、すごいとか、派手だとか、そういう区別がそこに生まれます。
つまり、何かを比べている時というのは、自分に焦点を当てているのではなくて、あくまで、自分の外側にフォーカスしてしまっている、ということです。
では、地味なことが、なぜ、心地よいのでしょうか。
地味とは、「自分(地)を味わう」という意味で、つまり、自分の内側にフォーカスを当てていることです(「地」には、生まれつきの本性、性格、などの意味があります)
自分以外の外側を感じるのではなくて、自分という存在が、何を考え、どんなことを感じているのか、存分に味わうこと。これが、地味さの中にあります。
皆さんは、ご自分という女性を、とことん味わったことはありますか?
あなたのという存在を、隅から隅まで味わえるのは、世界でたった1人、あなただけなのです。
泣きたい時は、泣くということを味わうこと
寂しい時は、寂しさを味わうこと
切ない時は、その切なさがどんなものなのかを味わうこと
喜びは、その喜びをかみしめること
人との比較の中ではなく。自分の内側にフォーカスを向けて、自分という女性の神秘を味わう地味な毎日にしようではありませんか。
自分を味わう喜びを知りましたらね、外側にある世界がどんなものであれ、気にならなくなります。「その外側の世界を味わう自分」を感じている方が、どれほどの深みがあるか分かっているからです。
地味さにこそ、幸せが詰まっています。
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成長が進めば進むほど、相手がツインレイかどうかにこだわらなくなるのは、そのためです。
外側にあるツインレイという枠組みや名称や捉え方よりも、自分の心の内側で感じているその人に対する想いの方が、圧倒的な真実だと実感できるからです。