コメント欄を拝見していますとね、愛といいますと、激情が伴うことをイメージされる方が多いように思います。
劇的な出会いとか、劇的なデートとか、劇的な愛の告白とか・・・・
もしくは、誰かに隠れて会うこと、秘密のやりとり、二人だけの約束・・・・
皆さんが、こういうことを求めているとしたら、それは、もしかしたら愛ではなく、たいくつな日常生活にいろどりを加えてくれる「非日常」とか「刺激」を求めているのではないでしょうか?
愛って、本来、穏やかなものです。
愛とは、例えるならば、「水」です。いつもそこにあるけれど、気がつかないぐらい当たり前になっている水です。
無色透明で刺激はないけれど、身体が最も必要として、各細胞が最も求めているのは、水ですよね。
ただそこにあるだけ。でも、最も必要とされているし、毎日必要なもの。
でも、人は、一度刺激を知ってしまうと、水だけでは満足できなくなります。
炭酸ジュース、ビール、シャンパン、こういうものを味わってみますと、とても刺激的で、「これこそが、私を喜ばせてくれる」と感じやすいです。
そして、身体が求めているのは水なのに、強烈な刺激の快感が忘れられなくて、もっと炭酸を飲みたい、あの頃に飲んだシャンパンをもう一度味わいたい、と思う傾向があります。
もちろん、炭酸ジュースやシャンパンという刺激が悪いわけではありません。たまに味わう程度ならば、それを存分に楽しめば、人生も楽しくなりますよね。
しかし、忘れてはならないのは、それでも、人間の身体に最も必要なことは、刺激ではなく、ありきたりの水だ、ということです。
炭酸やシャンパンばかりを飲んでいると、いつかは体に悪影響があるでしょう。
そして、怖いのが、炭酸ばかり飲んでいると、水では面白くなくなってしまい、常に、刺激のある炭酸を飲まなければ満足できない自分になってしまう、ということです。
そして、そうなりますとね、水が、あたかも、大切ではないように見えてしまう、ということです。本当は、水こそが、身体にとって必要不可欠なものだというのに。
皆さんが真実の愛を求めているならば、それは、水のありがたさを理解し、水に感謝できる、ということです。
愛が欲しいのか、刺激が欲しいのか。ぜひ、考えてみてくださいね。
(真実の愛は一度満たされたら永遠にそれが続きます。刺激は、その場だけは満たされても、永遠にエゴの欲求が続きます)