ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

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苦しみや恐れや辛さの先には

辛い時、苦しい時、恐れがある時、悩んでいる時、

 

 

それは、

 

 

「あなたは、これから、なにかしら成長しますよ」

「あなたは、何かを手放せますよ」

「また違った自分になれますよ」

 

 

という、宇宙からのお知らせなんです。

 

 

学校で言えば、これから何かが始まるよ、というチャイムの鐘がなっているイメージです。

 

 

ですから、悩みや恐れは毛嫌いする必要なんてなくて。

 

 

むしろ、「この壁を乗り越えられたら、また違った世界が見える」

 

 

と、思えたら、少しほっとできませんか?

 

 

前にも書きましたが、宇宙の法則の一つに

 

 

「常に、『今』しかない」

 

 

というものがあります。

 

 

だとすれば、ツインのステージでは、チェイサーは待つ存在、と言われていますが、何かを待つ、誰かを待つ、という行為をすることは、矛盾することになります。

 

 

なぜならば、「今しかない」わけですから、未来の何かを待つ、という行為は、今を生きていないことになります。

 

未来に、なにかしら、今よりももっとよい現実があると思うからこそ、私達は待つという行為をしますよね?

 

 

でも、未来はないのです。

 

 

「今」しか生きることはできません。

 

 

ですから、結果的に待っているように見えても、実際には、待つ、ではなく、「今を生きる」なんです。

 

 

より魅力的な自分になる。

より魂を成長させる。

より宇宙について理解して軽やかに生きる。

 

 

などを、行って、この、たった今のこの瞬間を存分に生きることです。

 

 

かつては、私もずっと待とうと思っていました。

 

 

そのときは、待てる、と思っていましたが、今振り返れば、それは、とっても辛かったのです。

 

 

なぜならば、待っているといっても、いつ、その未来がやってくるかわかりません。

 

 

 

 

ですから、思い描いたような未来は、一度願ったのならば、それが来ることを「確信してしまう」こと。そして、そうなることを「心底信じること」です。

 

 

そして、そう思いながらも、行動面では、「今を生きる」に集中することで、未来が開けてきます。

 

 

相手を変えずに、自分自身が行動を起こしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、今現在、なにかお辛いことがあれば、大丈夫です。

 

 

繰り返しになりますが

 

 

「新しい私に出会えるチャンス!」と思ってくださいね!

 

 

 

 

 

 

今にくつろぐこと

宇宙には、、という時間しかありません。

 

 

 

これは、真実です。

 

 

 

私たちの頭の中では、昨日という過去や、明日という未来が存在しますが、

 

 

 

それは、マインドの中のみに存在しうる概念です。

 

 

 

 

考えてみてください。

 

 

 

目の前に、過去、というものがあったことがあるでしょうか?

 

 

 

目の前に、未来、という時があったことはあるでしょうか?

 

 

 

目の前には、いつどんな時でも、、しか存在していません。

 

 

 

ですから、私たちができる最大のことは

 

 

 

 

たった今、を、最大に満たすことです。

 

 

 

 

過去はすでに過ぎ去っています。

 

 

 

 

未来は、いつかは、今、になります。

(今、目の前にある、今、は、昔にとっての未来、でした。つまり、未来とは、今、のことなんです)

 

 

 

 

今、心地よく過ごすこと

 

 

 

したいことをして穏やかに過ごすこと

 

 

 

今にリラックスすること

 

 

 

 

そうやって、自分の今、を、最大限に満たし続けることしか私達にはできません。

 

 

 

 

だからですね、ここは、よーく聞いてほしいのですが

 

 

 

 

ツインが戻ってきてから、幸せになるんじゃないんです

 

 

 

 

ツインが理解してくれるから、幸せになるのでもないのです

 

 

 

 

ツインが愛してくれてから、幸せに満たされるのでもありません

 

 

 

 

 

たった今、何の環境も何の現実も変えずに

 

 

 

 

今この時のすべてを宇宙に委ね、すべてを手放し

 

 

 

 

現実にくつろぎ

 

 

 

 

不完全な私が完全だったと思い出す時

 

 

 

 

何かに欠けている私が、実は完璧な存在で、私という宇宙の創造主だと思い出した時

 

 

 

 

それこそが、幸せ、であり、愛の世界です。

 

 

 

 

欠けたままで良かったんです

 

 

 

手に入れてないものがあってもいいし

 

 

 

 

彼が戻らなくても

 

 

 

彼に理解されていなくても

 

 

 

彼に無視されていても

 

 

 

 

そんな彼に腹を立てていても

 

 

 

 

その、すべての凸凹とした現実こそが、そのままで良かったんです

 

 

 

今という、この瞬間に、変えるべきものなど何もないと分かった時

 

 

 

 

究極の幸せに満たされている自分に気づくことでしょう

 

 

 

 

本当は、とってもシンプルなことで

 

 

 

 

自分以外の誰かに、何かに、変化を求めているうちは苦しいまま

 

 

 

それと反対に

 

 

 

自分以外の誰かに、何かに、一切の変化を求めなくなったのならば

 

 

 

すべてがオセロのように、幸せ色へと変化します

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、新しい年がやってきますね。

 

 

 

 

私の想いはただひとつ。

 

 

 

苦しい気持ちの方が、私のブログでほんの少しでも、ほんのちょっとでも、心が癒されますように。

 

 

 

そして、あなたの心が愛で満たされますように。

 

 

 

 

素敵な大晦日を過ごしましょう!

 

 

 

 

新しいステージは、明日のお正月からではなく、もう、はじまっているのです

 

我慢の正体

少し前に書きましたように、

 

 

感情というのは、変装して表れてきます。

 

 

 

では、我慢は、とは、どんな気持ちが変装したものでしょうか?

 

 

 

あなたの我慢していることを考えてみてください。

 

 

 

 

彼に言えないこと

 

 

 

ツインのステージ通りにしか進んではいけないと思うこと

 

 

 

相手は彼でなくてもいいです。

 

 

 

親に言えないこと

 

 

 

親に無理に合わせていること

 

 

 

親の言う通りにしていること

 

 

 

自分の気持ちよりも親の気持ちを優先していること

 

 

 

友達の前で我慢していること

 

 

 

職場で我慢していること

 

 

 

 

考えてみてください。

 

 

 

実は、

 

 

 

 

我慢の正体は、

 

 

 

恐れ、です。

 

 

 

 

我慢をしないでやってみることをイメージしてみてください。

 

 

 

 

例えば、彼に言いたいことがある。

 

 

 

彼に分かってほしいことがある。

 

 

 

でも、言えないから私が我慢する。

 

 

 

でも、言わない方が穏便にすむから我慢する。

 

 

 

 

ツインのステージ通りに進めば統合するから、我慢する。

 

 

 

 

もし、この逆をしてみたら?

 

 

 

我慢せずに言いたいことを全部彼に言ってみる。

 

 

 

我慢せずに怒られようが、再度拒絶されようが、伝えてみる。

 

 

 

 

ツインのステージ通りではないかもしれないけれど、今の気持ちを大切にするために、とにかく彼に伝えてみる。

 

 

 

 

そうしたら、何が起こるか。

 

 

 

 

彼に嫌われる。

 

 

拒否される。

 

 

無視される。

 

 

 

統合のステージにたどり着けない。

 

 

 

 

これらは実は、

 

 

 

すべて同じ恐怖です。

 

 

 

それは、

 

 

 

私は愛されない、という恐怖、です。

 

 

 

 

愛されたいからこそ、私たちは我慢してしまう。

 

 

 

愛に溢れた統合を迎えたいからこそ、今は我慢してしまいます。

 

 

 

 

私たちは誰もが、

 

 

 

愛されないことを恐れているのです。

 

 

 

 

それはきっと

 

 

 

ツインも彼も、そして親も友達も同じことでしょう。

 

 

 

 

それほどまでに、

 

 

 

私たちは、愛がなければ、いきて行くのは困難なのです。

 

 

 

 

 

しかしながら、

 

 

 

 

自分は愛されていないと恐れていますけれど、

 

 

 

 

実は、

 

 

 

 

私たちはすでに、愛されているとしたら?

 

 

 

 

嫌われると思っているけれど

 

 

 

すでに、実は

 

 

 

溢れんばかりの愛を注がれていたとしたら?

 

 

 

そして、私達が何をしようと、その愛が、決して無くならないし、減りもしないし、絶対に失われないと分かっていたら?

 

 

 

そうであれば、

 

 

 

どんな行動も起こせるのではないでしょうか?

 

 

 

 つまり、我慢するかどうか、というのは

 

 

 

私達が、自分自身のことを

 

 

 

私は愛されている、と信じられること

 

 

 

私の愛は決してなくならない、と信じられること

 

 

 

私は愛されるに値する女性であると知っていること

 

 

 

そんな風に、愛を信じられるかどうか、にかかっているのです。

 

 

 

 

だから、愛は、信じることなのです。

 

 

 

 

恐れがあるのは、信じていないから。

 

 

 

 

信じられないのは、自分とまだ対峙しきれていない部分があるからです。つまり、自分で自分を信じきれていない。自分で自分を信じきれていないと、相手のことも同じように信じることはできません。

 

 

 

 

やはり、愛とは、まずは自分の全てを丸ごと愛してあげることです。そこから全てがスタートします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この年末も、慌ただしいですが、自分と向き合う時間にしたいですね(^ ^)

 

 

 

 

 

感情は変装するのです

例えば、

あの人が去った

あの人が無視した

あの人が拒絶した

 

 

 

そういうことがあると

それをされた方の人は

『嫌われたのではないか?』

『何か私が悪いことをしたのではないか?』

 

 

 

と思ってしまいますよね。

 

 

 

しかしながら、実は、人間の感情というのは、変装して表れるものなんです。

 

 

 

 

 

誰かを非難している人。

 

 

 

それは、相手に非があるから非難しているわけではありません。

 

 

誰かを批判、非難したい時

 

 

 

その人は、心の中で、自分は正しい!を、アピールしたいと思っています。

 

 

 

自分は正しい!をアピールするには、誰かを批判することが手っ取り早い。

 

 

 

相手が間違っている、と言えれば、自分は正しい!ような気分になれます。

 

 

 

 

しかしながら、ここが見えにくいところなのですが、

 

 

 

なぜ、自分は正しい!と、わざわざ誰かを批判してまで、人にアピールしなくてはならないのでしょうか?

 

 

 

 

それは、正しいを証明して自己の価値を感じたいから。

 

 

 

自己の価値をわざわざ感じなければならないのは

 

 

 

むしろ、いつも自分は劣っている、と自分を責めているから。

 

 

 

 

自分は劣っています、だからみなさん、私のには価値があると言ってください!

 

 

 

なんてことは、正直に言えないわけです。

 

 

 

ですから、

 

 

 

最も簡単な方法、つまり、誰かを非難、批判するという方法で、

 

 

 

 

実は自分の価値を高めているのです。

 

 

 

 

このように、感情というものは、変装しています。

 

 

 

だからこそ、とことん自分と対峙、というのは、このためなんです。

 

 

 

 

もし、誰かにあなたが批判されても、大丈夫です。

 

 

 

あなたに非があるのではなく、その人が、自分自身の価値を埋めたいがために、批判するのですから。

 

 

 

 

もし、あなたのことを真に思って何かを伝えたい場合、批判、という形ではなく、メッセージ、という形であなたに伝えることも出来るからです。

 

 

 

 

そして、あなた自身、誰かを批判、非難したくなったら

 

 

 

 

よーーく考えてみてください。

 

 

 

 

相手に非があるわけではなく、

 

 

 

 

自分が正しいと証明したい

 

 

 

 

なぜなら、本当は劣等感があるから

 

 

 

 

ではないのか、じっくりと自分の心に聞いてみてください。

 

 

 

 

 

 

感情は、ありとあらゆる形を変えて、目に映ります。

 

 

 

 

 

 

案外、自分でも、自分の気持ちに気付けなかったりするものなのです。

 

 

 

 

だからこそ、ツイン=自分の姿、と見て、自分を振り返ることができるように、神様が合わせ鏡をプレゼントしてくれたのです。

 

 

 

 

 

今日は新月ですね。

新たなるステージのスタートです。

愛しています

 

 

 

 

冬至は陽への出発点

今日は、冬至ですね。

 

 

冬至とは、「日短きこと至(きわま)る」という意味で、一年で夜が最も長い日です。

 

 

この、冬至は、古くは、新しい年の始点とされていたそうです。

 

 

これから、夏至の、最も日が長いという時期へ向けて、少しずつ、少しずつ、明るい時間が増えていきます。

 

 

 

陰極まりて陽に転ずという言葉があります。

 

 

 

これはつまり、暗闇が最高潮に達すると、それは光へと転換していく、ということです。

 

 

 

冬至は、かつて、生命の終わりを意味し、新しい命の再生復活の時と考えられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母なる大地、大いなる宇宙。それらのエネルギーをダイレクトに受けやすい私たち女性は、この、冬至の時期にあたり、闇のような気持ちになった方が多いのではないでしょうか。

 

 

闇の只中にいる時は、確かに辛く苦しいものですが

 

 

それらは、古くから、新しい生命の始まり、新しい年の始まり、と考えられていたように、暗闇が極まれば、それらは、自ずと、陽の方向へと、転換されていきます。

 

 

 

厳しい冬の次には、必ず春がやってきます。

 

 

寒い寒い冬でも、その大地の中では、美しい花の種が、静かに開花を待っています。

 

 

 

宇宙の法則では、絶望の時こそが、最も幸いな時、と言われています。それはなぜならば、絶望の時ほど、己の変容を最大に期待できる時、と言われているからです。

 

 

 

人間の生命が誕生する時、母は最も大きな痛みを経験します。産みの苦しみです。

 

 

しかし、この、最大の苦しみが、新たなものを誕生させるのです。

 

 

 

そんな時こそ、とことん自分を信じ、自分を愛し、自分を甘やかし、自分を抱きしめ

 

 

宇宙のエネルギーを体いっぱいに浴びながら

 

 

 

愛そのもの、光そのものとして、進んでまいりましょう!

 

 

 

 

冬至、つまり、陽に転じる今日は、身の回りのお掃除をして、不要なものを感謝して手放すことが良い過ごし方のようです。

 

 

 

私も、今日は大掃除をして過ごしたいと思います。

 

 

 

 

愛を求める人生からの転換です

これまでの人生は、

 

 

愛を求めるばかりの人生でした。

 

 

 

 

親からもらえなかった愛。

 

 

 

誰にも愛されていないと思っていた。

一番大切にしてもらいたかった親から

見捨てられるといつもいつも思っていた。

 

 

 

愛情飢餓感から

いつも、他の誰かからの愛を求めずにはいられなかった。

 

 

 

でも、それは、仕方なかったよね。

 

 

 

愛は生きていく上で、何よりも必要なもの。

 

 

 

その愛が、私には与えられないと、思い込まされていたのだから。

 

 

 

他の人からの愛を求めるのは、ごくごく自然の行為だったんだ。

 

 

 

だから、彼に依存し、執着し、期待して、愛を欲しがった私。

 

 

 

 

そうしないと、生きていけないと思っていただけだったんだ。

 

 

 

 

そんな私がツインに出会い、彼からの拒絶という絶望を経て、

 

 

 

やっとやっとつかんだ、真実の愛。

 

 

 

 

それは、本当は、最初から目の前にあったものなのに、こんなにも巧妙に隠されていた。

 

 

 

なぜならば、真の愛を知るためには、その対極であることを知らねばならないからです。

 

 

 

 

その対極とは、

 

 

 

 

「愛がないような状況」

 

 

 

です。

 

 

 

それを経験して初めて、わたしたち人間は、真実の愛がなんなのかを、身をもって理解できるようになります。

 

 

 

 

だから、この地球は、経験の星、と言われています。

 

 

 

何事も、リアルな経験を通すことで、腑に落ちるものなのです。

 

 

 

 

 

 

この地球の仕組みが、本当によく理解できるようになったこの12月です。

 

 

 

これまでの、愛を求める人生からの転換です。

 

 

 

 

これからは、愛を求める人生ではなく、

 

 

 

 

愛そのものの私が、愛そのものとして生きる、そんな人生です。

 

 

 

 

 

真実の愛は、心の闇の中で待っていてくれました。

 

 

 

 

そんなことは誰も教えてくれなかったけれど、これは本当のこと。

 

 

 

真の愛は、

 

 

自分の中にあるドロドロとした暗闇、まるでヘドロのような醜い部分、目を伏せたい自分の悪の部分、

 

 

 

そんな見たくない部分にこそ、存在しています。

 

 

 

 

 

そこから逃げずに、直視することの勇気。

 

 

 

 

それを与えてくれたのが、彼だったのですね。。。

 

 

 

 

あなたの光も闇も、あなた自身なのです。

 

 

 

 

あなたが光と闇の両者と出会い、みとめ、抱きしめ、愛すること。

 

 

 

 

それが、真の統合。

泣き叫ぶ子供

私は、今日、風邪をひいて、近くのクリニックに行きました。

 

 

診察が終わって、処置室で予防注射を打ってもらおうとした時に、隣に3歳ぐらいの小さな子供がいました。

 

 

その子は、これからの注射が嫌で、大声をあげて泣いていたのですね。

 

 

 

注射はいやだ!

腕に触るな!

怖いことしないで!

帰りたい!

 

 

泣き喚いていたので、とても可哀想な気持ちにはなりましたけれど、

 

 

その横で、私は、その子供が、言いたいことを全部言って、なりふり構わずに自分の欲求をぶちまけている姿に、なんだか涙が出ました。。。

 

 

 

こんな風に、言いたいことを言えたことって、私はあるんだろうか。

 

 

泣き叫ぶほど、嫌だとかやめてとか、言ったこと、あっただろうか。

 

 

子供の頃、こんな風に言えなかったなぁ。。。

 

 

物心ついた時には、もう周りの人に迷惑かけないように、自分の気持ちを押し殺していたなぁ。。。

 

 

その子供、すごいなぁ。。。

 

 

 

なんだか、色んな気持ちが入り混じり、その子供がすごいなと思い、うるっとしました。

 

 

 

相手が困るほど迷惑かけたって、それが本音の本音なのであれば、心から満足できる。

 

 

その迷惑によって、喧嘩したり言い争いになるかもしれないけれど、言わないよりは前進している。

 

 

 

私は、そんなことを思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもオープンでいたいですね(*^^*)