少し前に書きましたように、
感情というのは、変装して表れてきます。
では、我慢は、とは、どんな気持ちが変装したものでしょうか?
あなたの我慢していることを考えてみてください。
彼に言えないこと
ツインのステージ通りにしか進んではいけないと思うこと
相手は彼でなくてもいいです。
親に言えないこと
親に無理に合わせていること
親の言う通りにしていること
自分の気持ちよりも親の気持ちを優先していること
友達の前で我慢していること
職場で我慢していること
考えてみてください。
実は、
我慢の正体は、
恐れ、です。
我慢をしないでやってみることをイメージしてみてください。
例えば、彼に言いたいことがある。
彼に分かってほしいことがある。
でも、言えないから私が我慢する。
でも、言わない方が穏便にすむから我慢する。
ツインのステージ通りに進めば統合するから、我慢する。
もし、この逆をしてみたら?
我慢せずに言いたいことを全部彼に言ってみる。
我慢せずに怒られようが、再度拒絶されようが、伝えてみる。
ツインのステージ通りではないかもしれないけれど、今の気持ちを大切にするために、とにかく彼に伝えてみる。
そうしたら、何が起こるか。
彼に嫌われる。
拒否される。
無視される。
統合のステージにたどり着けない。
これらは実は、
すべて同じ恐怖です。
それは、
私は愛されない、という恐怖、です。
愛されたいからこそ、私たちは我慢してしまう。
愛に溢れた統合を迎えたいからこそ、今は我慢してしまいます。
私たちは誰もが、
愛されないことを恐れているのです。
それはきっと
ツインも彼も、そして親も友達も同じことでしょう。
それほどまでに、
私たちは、愛がなければ、いきて行くのは困難なのです。
しかしながら、
自分は愛されていないと恐れていますけれど、
実は、
私たちはすでに、愛されているとしたら?
嫌われると思っているけれど
すでに、実は
溢れんばかりの愛を注がれていたとしたら?
そして、私達が何をしようと、その愛が、決して無くならないし、減りもしないし、絶対に失われないと分かっていたら?
そうであれば、
どんな行動も起こせるのではないでしょうか?
つまり、我慢するかどうか、というのは
私達が、自分自身のことを
私は愛されている、と信じられること
私の愛は決してなくならない、と信じられること
私は愛されるに値する女性であると知っていること
そんな風に、愛を信じられるかどうか、にかかっているのです。
だから、愛は、信じることなのです。
恐れがあるのは、信じていないから。
信じられないのは、自分とまだ対峙しきれていない部分があるからです。つまり、自分で自分を信じきれていない。自分で自分を信じきれていないと、相手のことも同じように信じることはできません。
やはり、愛とは、まずは自分の全てを丸ごと愛してあげることです。そこから全てがスタートします。
この年末も、慌ただしいですが、自分と向き合う時間にしたいですね(^ ^)