メールセッションの方からのメッセージです。
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ひとつずつ丁寧におこたえいただき、ありがとうございます。どれも理解できています。
愛にあふれた幼少期 をすごしていても、いろいろなことを乗り越えていく中で魂を磨くのですね。そう考えると、だれもが平等に生きているという見方ができて、同士だと思えます。
hanabiさん自身のお話もあり、なんだかおだやかな気持ちになりました。
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皆さんは、いつもメッセージやコメントで私のことを愛に深いと褒めてくださいますが、きっと私は、ダメなところがひとつもない素晴らしい女神だと思ってはいませんでしょうか!
全然違いますよ!笑
私は、ドジすぎる女神で、これほどまでによくドジでいられるな、と自分で感心するほどです。
物を買ったのにそれがすぐどこかにいってしまったり、ジュースをあけたばかりなのに、また別の新しいジュースの蓋を開けていたり。笑
計算が苦手、冗談が通じない、言葉が下手で相手を怒らすことがある、早とちり、誤解、など、日常茶飯事です。
そして、女神の私も、くよくよしたり落ち込んだり、物事がうまく行かなかったり。当たり前のようにあります。
では、なぜ、私は女神でいられるのか。
それは、日常生活で起きるそれらの出来事、すべて感情、すべて経験を、ありのままに認めていられるからなんです。
人間である以上、不完全な存在ですから、失敗や間違いもあるんですね。
でも、そのひとつひとつを、ダメだとジャッジせずに、ただ、そのまま受けとめてあげられるんです。
そして、そのことが起きた理由を理解して、その意味が分かりますとね、それは私の成長に必要だから起きていた、ということが深く実感できます。
そして、私に何かを気づかせてくれた目の前の人に、いつも感謝の気持ちを送っています。仲違い、喧嘩、誤解、分かり合えない、などの経験も、そこには、必ず何かしらの学びの種が含まれていて、何かに気づかせてくれるものだからです(だからこそ、私の現実としてそれが起きました)
どの経験も、どの感情も、全部、ありのままに愛してあげる。これが、ドジな女神の私の日常です。
そうしますとね、ドジなことも、うまくいかないことも、それを、私自身が認めてあげているので、周りの人もそれを認めてくれるんです。
だから、私がどんなにドジでも、それがダメな点ではなくて、愛らしいと思ってもらえるんです。もちろん、それを嫌いだとか、私をバカだなと思う人もいるかもしれませんが、それはその人の判断なので、それも私はゆるし、その人の判断を認めています。それすら、愛しています。
私は女神になれません、私は女神ではありません、と書く方もいますが、女神というのは、特別な女性だけがなれるのではなくて、女性は全員、女神として地球に生命を与えられたのです。
だだし、それには、私は女神だ、とご自分で気づいていなければ、その存在として生きていけないのです。
だから、私は、皆さんが女神なんですよ、とお伝えしたくて、毎日、何かしらの言葉を届けたいと思っています。
皆さんは、自分が女神だと気づいて、その美しさ、華麗さに気づかれたら、あまりのご自分の素晴らしさにびっくり仰天されますよ!それほどまでに、皆さんは、素晴らしい存在なのです。皆さんがそれに気づいていないなんて、なんてもったいないことでしょう!
皆さんは、女神なのです。そして、その生き方を皆さんの魂は深く望んでいるのです。
ドジな女神は、皆さんの深い愛をすでに知っているからこそ、セッションでも皆さんが変容なされるのです。
ドジな女神は、今日もドジだらけで、泣きたいこともありましたが(笑)それすらも女神として味わっています!
つまりね、ずるくても、弱くても、話すのが下手でも、甘ったれでも、それでも女神なんです。ずるい女神だって、弱い女神だったいいじゃありませんか!
皆さんは女神です。それが真実です。