ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

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「私が私自身を100%信じた」

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ツインソウルということを知って6年、相方さんを『ツインソウルではないのでは?!』と想ったこと、頭を少しでも過ったことは一度もありません。

 

 

 

ブログでhanabiさんが書かれていることが今でこそ理解できるのは、私が私自身を100%信じたからです。

 

 

 

 

誰に何を言われても、ツインソウルブログにどのような事が書かれていても、ツインソウルの本を片っ端から読んでも、スピの方にカウンセリングしてもらっても、どんな情報が自分に入ってきても、私が私自身の初めて出逢った感覚をいつも感じて信じてこられたのも、私が私であったからです。

 

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ツインレイであってもなくても、それにこだわらないこと。私はそのことを何度も書いています。

 

 

 

これは、分かりにくいことでもあると思います。なぜならば、相手がツインレイだと思うからこそ、進んでいるツインのステージです。相手がツインだと思えたからこそ、辛い時も苦しい時も進んで来れたと思います。

 

 

 

それが、ツインであってもなくても、こだわらない、というのは、なかなか理解しにくいですよね。

 

 

 

 

ですから、もし、今、ご自分の相手が絶対にツインレイだと信じている、とか、相手はツインに違いない、と思われるときは、そう思っていて大丈夫なんです。

 

 

 

 

相手がツインだとこだわらなくなる、というのは、自然と起きてくる感情だからです。それが今は起きていない、ということは、ダメなわけではなく、今は相手がツインだと深く信じることが良いタイミングだ、ということですから。

 

 

 

 

 

なぜこだわらなくなるのか。それは、まず1つは、こちらのメッセージにいただきましたように、相手をツインだと深く確信するからこそ、なんです。

 

 

 

 

例えば、私たちは、明日、太陽が昇るかどうかなんて、誰も気にもしませんよね。なぜならば、太陽が昇らないと生命はみな生きることはできないのですが、太陽が昇るのは、もう、誰もが疑うことのないぐらい、毎日毎日、当たり前のように昇るので、太陽は明日も必ず昇るのだ、という深い確信がありますから、そのことを気にもとめません。

 

 

 

 

それと同じで、もう、自分にとっては、相手はツインレイであるのは間違いないほどの、圧倒的な感覚があるので、そのことは、自分にとっては絶対的事実でありますから、もう、そのことを考えることもなくなるんです。

 

 

 

 

ツインのステージの、いわゆる「手放し」では、無理やり彼を忘れたり、強引に手放そうとすることではなくて、こんな風に、自然に相手がツインレイかどうかということすら気にならないぐらい、相手に執着せずに、ツインレイということにも執着せずに、ただひたすら相手に愛を送り感謝に満ち溢れる状態です。

 

 

 

 

そしてもう1つ。万が一、相手がツインレイではないと誰かに言われたり、万が一、仮に相手がツインレイではないと思うような出来事があったとします。

 

 

 

 

でも、たとえ相手がツインレイではないと言われたとしても、自分に起きている圧倒的な現実と、相手との関係性において、それがツインレイであるかどうかは、もう、関係ないぐらい自分の成長があったり、自分の幸福度が増したり、魂の感覚があったりします。そうなりますとね、相手がツインレイであるかどうかよりも、その人がその人であることが、深く感謝できるんです。

 

 

 

 

ですから、ツインレイのステージでは、「手放し」「宇宙への降伏」という段階に進んでいきます。

 

 

 

 

 

ですからね、どうぞご自分の感覚を信じて、この宇宙を信じて、一歩ずつ、一歩ずつ進んでください。

 

 

 

 

相手がツインレイだと思うからこそ前に進めることもあります。相手がツインレイだと信じられるからこそ、乗り越えられることもあります。

 

 

 

 

相手がツインレイだとこだわらないほうが前に進めることもあります。

 

 

 

 

 

どうぞ、ご自分のハートの感覚を信じて、

 

 

 

 

 

「すべてはベストのタイミングで起きている」

 

 

 

 

 

ことを信じて、愛そのものとして生活してまいりましょうね。

 

 

 

 

そして、これは、ツインのことに限らず、自分で自分のことを信じられるようになること。これが、ありのままに、自分らしく生きるということです。

 

 

 

 

自分で自分を信じてあげられるようになるためにも、1つずつ、一歩ずつ、自分を認め、自分を愛してあげてください。

 

 

 

メッセージありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

自分の世界の外に出ること

おはようございます。hanabiです。いつも私のブログを読んでくださいましてありがとうございます。

 

 

昨日、私は、ある駅に行きました。もう、これまで何十回も利用している見慣れた駅です。

 

 

普段は、通過点の駅として利用しているので、いつも乗り換えるか、もしくは、改札そばのキオスクなどでちょっとしたお買い物をするぐらいでした。

 

 

昨日は、たまたま時間がありまして、少し、その辺をぶらついてみようかな、と思いました。はじめて、改札そば以外のところを歩こう、という気になったんですね。

 

 

そして、いつもはあまり通らないほうの通路を通ってみたんですね。

 

 

そうしましたら!私はびっくりしました。

 

 

いつも通っている通路と違う通路を通ってみますと、いつもは目にすることのない、曲がり角の向こう側へ行けました。そこに曲がり角があることは知っていたのですが、そこから先を覗いたことがなかったんです。

 

 

たまたま、昨日、時間があって、曲がり角の向こう側を覗いてみましたら!なんと、そこには、私がいつも通っている通路の何倍もの広さのスペースがあって、ショッピングセンターになっていたのです。

 

 

まさか、曲がり角の向こう側に、ショッピングセンターがあるなんて思ったことがなかったので、まるで遊園地にきたかのように嬉しくワクワクしてしまいました。

 

 

新鮮なお野菜が売っているスーパーのコーナー、お土産屋さん、雑貨屋さん、お花屋さん、ゲームコーナー、スイーツコーナー、カフェスペース、などなど。

 

 

 

こんなにたくさん、楽しい場があったのに、私は、いつも同じ通路を通っていて、曲がり角の向こう側にショッピングセンターがあると知りませんでしたから、本当に驚きました。なによりも、そんなに広い奥行きのある空間があることが驚きでした。

 

 

 

その空間を楽しみながら、私は思いました。私たちの思考においても、これと同じことが起きているのではないかな、と。

 

 

 

普段通りの考え方、いつも物事を見ている見方。それは、普段通っているありきたりの通路のようなもので、特に必要性がなければ、また、興味がなければ、他の通路を通ろうとは思いませんよね。特に、駅のような場所は、必要なこと(電車に乗ること)をする場ですから、他のことを期待して利用していたわけではありませんので、電車にさえ乗れれば、目的が達成されますから、他の場所を覗こうとも思いませんでした。

 

 

 

でも、(昨日はたまたまでしたが)違う通路を通ってみたら、奥行きのあるとっても楽しい空間が広がっていて、新しいその空間を存分に楽しむことができて、これから、その駅を利用することがとっても楽しみになりました。

 

 

私たちの思考も、物事の見方も捉え方も、自分のパターンではなく、別の通路を歩くように、ちょっと違う考え方をしてみたり、別の見方をしてみたりしますと、新しい世界が待っていてくれるのかもしれません。

 

 

この通路しかない、つまり自分の考え方こそが正しいのだと思ったり、曲がり角の向こう側を覗かない、つまり、他の考え方を知ろうとしないことは、自分で自分の世界を狭めてしまっているのかもしれません。

 

 

 

世界はとっても広いのに、考え方は幾通りもあるのに、愛は無限の広がりを見せているのに、自分で自分の考え方を、世界を狭めていたら、なんてもったいないことでしょう。

 

 

 

そんなことをしみじみと思った昨日の出来事でした。そして、私自身、これからも、この地球の無限の広がりと、たくさんの喜怒哀楽の感情と、たくさんの愛を楽しんでいきたいと思いました。

 

 

 

みなさんも、機会があれば、ぜひ、いつもと違う道を通ったり、いつもは利用していないお店に行ってみたり、いつもは足も踏み入れない分野の世界を覗いてみたり。そんな風に、ご自分の枠の外にでるような行動をなされてみてくださいね!意外な世界が広がっているかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に心地よさをプレゼントする

読んでくださっている皆さんの中には、彼とまったく会えない方、連絡を取れない方もいらっしゃると思いますので、その方に向けて書きます。

 

 

 

 

まず、沈黙=悪、ではないということです。

 

 

 

 

 

彼に会えない、連絡もない、というのは、お辛さも大きいと思いますが、実は、ご自分の心の内側と向き合うには、まったく接触しないことは、大きくプラスに働きます。だからこその離れ離れです。

 

 

 

 

ですから、まずは、この状況は不幸なのだ、という風に思わないでください。

 

 

 

 

そして、離れ離れでお辛い時。

 

 

 

 

その時は、これまで以上に、究極にご自分を甘やかしてみてください。

 

 

 

 

彼のことは、いつ会えるのか、いつ連絡がくるのか。それは、宇宙の采配です。私たちが決められることではありません。そのことは、宇宙を信じて、宇宙のコインロッカーに預けます。

 

 

 

 

 

そして、自分のためにできることを全部やり尽くす!ぐらいのおつもりで、それらを全部ノートに書き出して、とにかくやってみてください。

 

 

 

 

行きたくないところにはいかない、やりたくないことはやらない。それを、できる範囲で最大限にやってみてください。

 

 

 

 

少しでも心が癒されること、例えば、アロマをしたり運動したり、ご自分にお花を買ったり、お掃除してお部屋を綺麗にしたり、です。

 

 

 

1日中お辛くても、ほんの5分でも、自分が癒されることをやってみてください。

 

 

 

 

そして、特に効果的なのが、自然の中に身を置くことです。

 

 

 

 

公園、森の中、海のそば、川の近く、そういったところに足を運んで、深呼吸してください。そうしますと、大自然の波動が降り注ぎ、大自然のパワーを与えてもらうことができます。

 

 

 

 

 

もし、彼にあんなことをしてあげたい、こんなこともしてあげたい、と思うことがあれば、それを、今は、全部ご自分にやってあげてください。

 

 

 

 

彼にしてあげたいことを、1つ残らず、愛を込めてご自分にやってあげるのです。

 

 

 

 

宇宙の法則に、同じ波動が集まる、というものがあります。これは、類は友を呼ぶ、ということでもありますよね。

 

 

 

 

軽やかな波動を放つ人には軽やかな波動をもった人が集まります。重い波動を放ちますとね、重い現実がやってきてしまいます。

 

 

 

ご自分を最大限に甘やかすとは、そうやってご自分のことを心地よくさせてあげて、心をスッキリ晴れやかにして、ご自分の波動を軽くするのです。

 

 

 

 

今日からたったお1つずつでも、ご自分にできること、嬉しいことや楽しいこと、リラックスできること、心が落ち着くこと。これらを実践してみてください。

 

 

 

 

あなたを甘やかしてあげられるのは、あなただけです。存分に愛を持って、心地よさをご自分にプレゼントしてあげてくださいね。

 

 

 

 

 

宇宙はいつも皆さんと共にいます。いつも皆さんは、ありのままで愛されています。

 

 

 

今、自分が何をすべきなのか

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とても苦しかったので ある方のセッションを受けた時に 「あなた達はツインレイではありません、何故ならツインレイは統合の前に体の関係はないからです。」と言われました

 

 

そして自分は出会っている、ツインとは統合された後、永遠に一緒にいるのだと なんか、愛にランクをつけられたような気がしました。

 

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これまでも何度も書いておりますが、現在のところ、ツインを判断するのに正確と言える情報はありません。その時に大切なのは、その情報を受け取る受け手が、何を信じるか、です。

 

 

 

 

そして、皆さんに考えていただきたいんです。

 

 

 

 

私たちは誰もが、死を迎えます。明日の生命が分からないのが人間という存在です。

 

 

 

 

確かなことは、たった今、生きている。それだけです。数時間後でさえ、究極を言えば1秒後さえ生きているかどうかは分からないのが人間です。

 

 

 

 

 

死ぬ直前に、彼のことを考えたとします。

 

 

 

 

 

その時に、その人はツインレイだった、というその関係性を思いますか? 彼がツインレイだったかどうか、そのことを思い出しますでしょうか。

 

 

 

 

それよりも、出会ったこと、その彼の笑顔、教えてくれたこととか、気づかせてくれたこととか、2人の思い出とか、辛かったけれどがんばって乗り越えてきたこととか、そのようなことを、大切なものとして想いを馳せるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

彼の存在そのもののことが頭に浮かぶのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

私たちは、いつ自分の生命を閉じるのか、知らされていません。

 

 

 

 

だからこそ、彼と再会してから、ではなく、彼が愛してくれてから、でもなく、彼への愛を感じながら、今、自分自身を愛で満たし、自分で自分を幸せにしてあげること。それが大切なのです。

 

 

 

 

 

 

今、自分が何をすべきか。それは、死を意識すると、見えてきます。

 

 

 

 

 

メッセージありがとうございました。

 

 

自分と二人三脚で

素敵なメッセージをいただきました。

 

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Hanabiさん Hanabiさんのブログのおかげで 私、トンネル抜けました ありがとうございます。

 

自分の心の深いところを探るのは とても大変な作業ですね。

 

 

これからも、Hanabiさんのブログをガイドブックにして 私の心と二人三脚で焦らず一歩ずつ 楽しみながら進んで行きたいと思います。これからも、ブログ楽しみにしています

 

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トンネルを抜けることができて良かったですね。

 

 

 

「私の心と二人三脚で焦らず一歩ずつ 楽しみながら進んで行きたいと思います。」

 

 

 

ツインのステージ、魂の成長とは、まさにこれが求められています。ご自分が、自分自身との二人三脚になるために、わざわざ分離期間があるんです。

 

 

 

相手が目の前にいますとね、その相手のことが気になったり、相手との関係性に意識が向くので、自分の心の内側に意識が向きにくくなります。

 

 

 

 

それを、自分に起きてくる「すべての出来事」を、自分の内側を見つめるきっかけにするんです。

 

 

 

 

もう、本当に全部、なんです。

 

 

 

 

彼のことに腹がたったら。彼はなぜそんなことをするのだろう? ではなく、「なぜ、この私は、彼のその行動がそんなに腹ただしく思うのだろう」と考えます。

 

 

 

 

彼が冷たいと思ったら。彼はなぜ冷たいのだろう?ではなく、「なぜ、この私は、彼のその行動が冷たく感じられるのだろう」と考えます。

 

 

 

 

これが、自分の内側との対峙、です。

 

 

 

 

 

彼とのことだけではなくて。お仕事でもプライベートでも、何か嫌なことや辛いことが起きましたら、相手の責任ではなく、「私はなぜ、今、辛いのだろう」「私はなぜ、そのことが嫌なのだろう」と考えます。

 

 

 

 

 

そうやって自分を知ること。それが、成長に大切なことです。

 

 

 

 

そしてね、自分自身と二人三脚ができてきますとね、相手に満たされようとしたり、相手からの愛を求めなくても、自分が自分の良き理解者となり、自分が自分の支えとなれますから、彼からの行動や言葉に関係なく、いつも愛そのものの自分でいることができて、いつも静かな幸せを感じることができます。

 

 

 

 

ご自分と一緒にいるのは、いつもいつも自分自身ですから、その、自分自身と仲良くするんです。

 

 

 

 

そうやって、自分自身と仲良くできますと、他の人に何かを求めたり、期待したり、愛を求めたりしなくなるので、とっても軽やかな波動になります。

 

 

 

その時に、軽やかな波動をもった男性と女性が、自分自身の足で立ち、自立した魂をもったもの同士、心の内側から溢れ出る愛を与えあい、真実の愛の探求を共に手を取り合って、実践していくことになります。

 

 

 

 

 

ご自分との二人三脚を、時には障害物があっても、時にはうまく前に進まなくても、まるで運動会に参加しているみたいに楽しめたら、それが喜びの人生ですよね。

 

 

 

 

 

素敵なメッセージありがとうございました。自分の心は深いからこそ、それを探っていく面白さがあります。どうぞこれからも、ご自分を愛しながら、その探求を楽しんでくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

運命の相手について

ご質問におこたえいたします。

 

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私の友達にやはり『ツインレイ』の特徴に当てはまる関係だと思っている人達がいます。 しかしながら、その友達は必ずしも自分らしく生きられてないわけではないようです。本人にしかわからない所もあり、完全には『自分らしく生きられてないわけではない』とは言い切れませんが、そのように話を聞きました。

 

 

 

たとえば、自分らしくありのままに生きていられる人はhanabiさんのおっしゃる『運命の相手』には出会わないのでしょうか? 逆に言えば、自分らしく生きられてない人だけに『運命の相手』は出会って気づかせてくれるのでしょうか?

 

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まず、自分らしく生きている、と思われた方は、はたして、本当にその人ご自身が納得できるぐらい自分らしく生きているかどうか、ということがありますね。

 

 

 

その人があなたから見たらどんなに自分らしく生きていると見えていたとしても、ご本人にはもしかしたら人には言えない悩みがあったり、人には言わないご自分なりの成長を求めたりしているかもしれませんよね。

 

 

 

 

運命の相手とは、魂の喜ぶ生き方へ進む方向性へと導いてくださる存在です。

 

 

 

 

私たちの魂の成長には終わりがなく(魂の成長の終わりは、大いなる宇宙と1つになること)、人間として肉体を持っているということは、何らかの魂の成長や人間としての学びや気づきがあるからです。

 

 

 

 

自分らしく生きているように見える人も、成長過程であり、何かしらご自分なりの課題や魂の成長がありますよね。それに気づかせたり、その方向性へと導いてくれるのが運命の相手です。

 

 

 

 

 

真実の愛というのは、言葉で言うほど簡単なことではありません。私たちは誰もが、自分にしかわからない何かしらの課題や、魂の求めることがあって生きているのではないでしょうか。

 

 

 

 

その成長を促したり、導いたり、気付きを与えたり、それが運命の相手だと私は考えております。

 

 

 

 

人の存在は奥深いからこそ、その成長に終わりがなく、古代からずっと、自分のこと、そして真実の愛を探求することが行われているのでしょうね。

 

 

 

 

ご質問に戻りますが、たとえ完全に自分らしく生きていると思われている方であっても、人間であるということはなんらかの魂の成長があるということですから、運命の相手と出会うことはあるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての人がそれぞれの状況で愛を学んでいます

時々、このようなメッセージを受け取ります。

 

 

「私はツインレイと出会っているから、普通の恋愛とは違う」「私の愛はツインレイとの究極の愛だから、一般の愛とは違う」「私はツインレイと出会っている。あの人は出会っていないから普通の恋愛」

 

 

 

こう思った時は、ご自分を振り返るよい機会です。

 

 

 

「真実の愛」に、究極も普通もありません。

 

 

 

この地球を含めた宇宙に存在する愛はひとつです。(ツインレイとの愛だけが真実の愛と書かれているブログもありますが、私は違う考えです。愛はひとつです) 

 

 

 

 

私の愛は他の人と違うとか、他の人はまだまだだとか、私はツインと出会っていて他の人は出会っていないと感じるとき。 

 

 

 

それは、自分自身に集中しきれていないからなんです。

 

 

 

真に自己と対峙する時、他者のことがまったく気にならなくなります。

 

 

 

真に成長したとき。他者のどんな姿からも何かしら学ぶ機会にします。

 

 

 

心の成長が進みますとね、心が如何に奥深く、愛がいかに無限であるかに気づきます。そうしますと、成長すればするほど「自分はまだまだ学べていない」「自分はまだまだ愛を知っていない」という気持ちになります。

 

 

 

何年も修行した覚者は、いわゆるアセンションとか悟りという状況になりますと「私が学ぶのはこれからだ」と思うそうです。それほど、人間という存在は神秘であり、人間の心は深淵であり、到底学びきれない、理解しきれないと実感するので、「自分は何も知っていなかった」「これからやっと本当の学びが始まる」と思われるそうです。

 

 

 

 

「私は他の人と違う」「私は究極の愛で他の人は普通の愛」というのは、自分と相手をジャッジする癖がついてしまっているからです(それをご自身では気づかれていないことがほとんどです)。また、そのように感じるのは「優越感」つまり、誰かを劣っている、私は特別だと思うことで、自分が上だと思いたいがためにでてくる考えです。(これも、ご自分ではなかなか気づけません)

 

 

 

成長とは、相手を完全に自分と同じとしてみることです。(これがいわゆるワンネスですね)

 

 

 

 

どうぞ、他の人のことは気になさらずに、目の前のどんな現実からも何かしら学んだり教わるというお気持ちでいてくださいね。

 

 

 

上記のようなメッセージを受け取ることも少なくないので、この記事を書きました。

 

 

 

 

これは、愛のことに限らず、日常生活のあらゆる場面で「私は特別」「あの人は劣っている」と感じられましたら、相手が本当に劣っているわけではなく、相手を劣っていると捉えている自分がそこにいる、ということです。どうぞご自分と向き合うきっかけになされてみてください。

 

 

 

真に成長が進みますと、相手の劣った部分に目が行くのではなく、どんな状況にいる人のことを目にしても「すべての人は愛そのもの」と、そちらを感じることができて、全ての人の中に光明をみることができるようになります。

 

 

 

 

人は、それぞれ個性ありますが、 そしてまったく別の生き方をしていますが、心のしくみや魂の存在に違いはひとつもありません。皆、真実の愛を懸命に学ぶ同士です。