愛に熱心な女神からご質問を頂きました。
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hanabiさん こんにちは。
依存について考えていたら 「依存」と「人に頼る」「人に甘える」が ごちゃごちゃになってきました。それらの違いについてご教授下さるとありがたいです。
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愛について真剣に対峙するお姿が素晴らしいですね。
「人に頼る」「人に甘える」「人を支えにする」には2種類あります。
自分を愛せていて甘えるのか。自分を愛せていない状態で甘えるのか。この違いです。
①自分を愛せている場合。
ありのままの不完全な自分を認めている。ありのままの自分を愛している。
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ありのままなので頼っていいし甘えていい。支えてもらってもいい。
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甘えてもらえたほうも役に立てて嬉しい。仮に、相手が頼らせてくれない、甘えさせてくれなくても辛くない。甘えたいけれどそれができなくても自分の価値が変わるわけではない。自分の愛に触れられている。
②自分を愛せていない場合。
ありのままの不完全な自分を認めていない。ありのままの自分を愛せていない。
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自分が自分の拠り所になれていないと、相手に頼ったり甘えたりすることで自分を満たしたくなる。
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甘えられることが依存されているように感じることもある。仮に、相手が頼らせてくれない、甘えさせてくれないと辛くて苦しい。自分の価値がないような感覚がする。
どのような行動もそうなのですが「自分を愛せている」のか。「自分を愛せていない」なのか。それによって同じ行動でも自分の感覚が異なります。
自分を愛せている場合は、それをしている自分もされている相手も心地よいです。
自分を愛せていない場合は、それをする自分もいっぱいいっぱい、相手もあまり心地よくないという感覚になりやすいです。
ただし①②が完全に白黒はっきり分かれるわけではありませんので、①のようになれるように目指しながら自分を愛せていない②のところがあっても、じわじわと自分を信じて人に甘えることや頼ることを行ってみてくださいね。
私hanabiは不器用でできないことが多いので、人に甘えてばかりなのですが、周りの人が優しく教えてくれたり支えてくれたりします。それは私が自分を愛しながら、甘えたり頼ったりしているからです。
皆さんももうすでに愛の女神なのでそうなれますし、甘えてもらえたほうもあなたが甘えてくれたら喜びなのです。
ご質問ありがとうございました。
甘えても
迷惑かけても愛される猫ちゃん
あなたも同じ女神です