「否定されました」
「無視されました」
「馬鹿にされました」
「蔑ろにされました」
こんな言葉をよくお聞きします。
相手があなたに対して、こうはっきりと直接的に言葉で言ったとしたら、そうなのかもしれません。
しかしながら。多くの場合はおそらくそうではなくて
「否定された」と私が受け取りました
「無視された」と私が受け取りました
「馬鹿にされた」と私が受け取りました
「蔑ろにされた」と私が受け取りました
であるのです。
そうだとしたら、そう感じたときに、相手に聞いてみることです。
きっと、ほとんどの場合『そんなつもりはなかった』ということでしょう。
それはなぜか。
誰かを否定したり、無視したり、蔑ろにしたり、馬鹿にするのは、やる本人もかなりのエネルギーが必要だからです。
こうすることで、軽やかな気分になる人はいませんよね。もし、あなたが他の誰かに無視や否定をするとしたら、あなた自身も嫌な気分になってしまい、清々しいお気持ちになれませんよね。
人は、自分が嫌な気持ちになることをわざわざやろうとは思わない生き物です。
あえて否定のエネルギーを使いたいと思って生きている人はいないと言えるでしょう。
男性も女性も、誰もが温かな愛を求めて生きています。
ということは、そうされたと思ったときは、やったほうの人はそういうつもりはないのに、受け取った人がそう『感じた』ということが少なくないのです。
皆さんに、そんな過去で思い当たることはありませんか。否定されていたと思っていたけれど、そんなことはなかった…ということです。
その最たるもの。
それは、親からの愛の態度です。
親に否定された、親に嫌われた、親に理解してもらえなかった…
親は子どもを深く愛していても、その心が子供に伝わらないので、親の態度が、あたかも皆さんを愛していないように受け止めることもありったかもしれません。
でも、親のしていた態度が、もし、そのすべてのすべて、心の底にはあなたに対する深い愛があったとしたら?
親にされてしまった「私が被害者」というメガネを通して、もう世界を見なくても良いのです。
周りの人は、あなたが思っている以上に優しい。