前回までのストーリーです。
私は、彼に対して猛烈に怒ったことで、その怒りは、幼少期に両親に対して感じていた怒りと同じものだったと気づかされました。
私は、ノートに書きなぐった怒りの気持ちを、じっと眺めていました。
幼少期に両親に対して感じていた怒り。それがもととなって、それらが蓄積されて彼への怒りと繋がっていた。
では、なぜ、両親に対する怒りたちが、彼へのそれほどの猛烈な怒りになったのか。
私は、ハッとしました。
またもや、衝撃を受けるような気づきがありました。
確かに、私の怒りの根底にあるのは、両親への怒りでした。
ですが、それは、過去のこと。多くは、幼少期、小学生ぐらいのころの怒りが多かったです。
それから何十年も経過して、彼に出会ってからも、心の底では怒っていた私。
ノートに書いた怒りの文字を眺めて、その怒りの蓄積の意味が見えてきました。
それは
「私を怒らせる理由となるジャッジの物差し」
を、幼少期に持ってしまい、その『ジャッジの物差し』こそが、幼少期から大人になるまで、ずっと私の物事をとらえる判断基準や価値観となり、私に怒りを発生させていたのだ・・・・・、ということです。
だから、よく考えてみれば、彼に対してだけではなく、両親に対してだけでもなく、日常生活においても、怒りとして表現しないまでも、
私はいつもいつも、誰かに、何かに怒っていたのだ・・・・・・
自分で認めるのがとても嫌でしたが、私は認めざるを得ませんでした。
私は、日常的に、心の中ではいつも誰かを、何かをジャッジしていた。
誰かを、何かを、自分の物差しでジャッジするたびに、自分の理想ではない出来事に対して心の中で怒っている・・・・・。
でも、それを、表現はしない。怒ることはよくないことと社会的に言われているから。
だから、目には見えなくても、日常的に、小さな小さな怒りが心の中に蓄積していた・・・・・。
そして、彼との出会いで、思うようにいかないことが究極になってしまい、その怒りが爆発した・・・・・。
「怒り」というのは、怒るポイントは人によって様々です。
例えば、「コンビニのレジで不機嫌な店員さんだった」という出来事があるとします。
「店員さんは機嫌よく対応すべきだ」という価値観を持っていると、不機嫌な店員さんは、頭にきます。
「こちらが客なのだから、店員さんは私を大切に扱うべきだ」という価値観を持っていると、店員さんに対して怒って文句を言うかもしれません。
「コンビニの店員さんは忙しい仕事だから不機嫌なこともあり得る」という価値観を持っている人は、その店員さんが普通に見えます。
「コンビニの店員さんがいてくれるお蔭で私たちは便利な生活ができる。不機嫌というのはそれほど忙しく働いているということ。だから店員さんに感謝しよう」という価値観を持っている人は、その店員さんが不機嫌であっても、感謝の念が湧いてきます。
つまり、自分の価値観というジャッジの物差しが、自分の捉え方、判断の仕方を決めているということです。
相手や出来事に怒るかどうかは、その相手やその出来事に付随しているのではなくて、『自分のジャッジの物差し』こそが、その理由となっているのです。
私は、自分を怒らせているジャッジの物差しがなんなのか、いくつか考えてみました。
その時に驚かされたこと・・・・・・
私の持っていたジャッジの物差しの、なんと多いことでしょう。
ジャッジの物差しとは、〇〇すべき、〇〇でなければならない、〇〇でないとダメ、という基準のことです。
私は、あまりにもこの物差しが多すぎて、それが、怒りとなって、自分で自分を苦しめていたということに、ようやく気づかされたのです。
私は大切にされるべき
彼は私を理解すべき
彼は私にメールを何度も送るべき
両親は私に温かな対応をすべき
彼は私の話を聞くべき
両親は私の話に耳を傾けるべき
べき、べき、べき・・・・・・・・
心の中が、〇〇すべきのオンパレード・・・・・・
私は怒りの正体やそれまでの苦しみの正体をつかんだ気がしました。
つづく。
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メールセッション(自己変容プログラム)のご感想①
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