メッセージをいただきました。
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私は、本当に好きな人が出来てから よく泣いてましたが、最近は少なくなって 他人に対して感情を出すことが出来るようになりました。
思いっきり怒ったりもします。 昔の自分では考えられない事です。
けど、こんなに素直になれる自分が嬉しくて。 怒る事でさえ、愛があれば人をいい方向に動かす事ができる事を身をもって経験してます。
愛を知って、そこから色々な人に出会えた事。 hanabiさんに出会えた事。 色んな物が混ざりあって、今の私がある。 それを楽しんでます(^∇^) またコメントさせて下さい
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怒ったり素直になれるご自分になれて良かったですね。
「素晴らしい私」というのは、自分が理想とする自分になったり、怒らないで愛でゆるせたり、批判したり文句を言わなかったり。そういう、「自分の素晴らしいと思う面を見せることができる私」「自分が考える素晴らしいところを実現した私」「ダメな自分を克服して、素敵な自分になれた私」ではないのです。
「素晴らしい私」とは、自分のダメなところ、いやなところ、嫌いだと思っていたところ。それらがあっても、私は大丈夫だったんだ、そういう私もいるけれども、それは私の一部であって、それらもひっくるめて私はそもそも「不完全な人間」として、この地球に生きている生命の存在として素晴らしかったのだ、と気づいた私のことです。
ですから、怒ってもいいのです。頭にきても、誰かを批判しても、ムカついても、文句を言っても、いいんです。まずは、その、心に浮かんできた感情を、そのまま、認め、あなたはそう思っているのよね、と、ご自身の感情を愛してあげてください。
素晴らしくない感情など一つもないのです。
感情はその感情が起きてもよいからこそ、喜怒哀楽が人間には与えられました。ですから、感じてはいけない、ということはひとつもありません。
ただし、それは、そのまま相手にぶつけたほうがいい、ということではなく、それらの、自分に浮かんできたすべての感情を、自分を知るきっかけにするんです。自分と対峙するための、気づき、として捉えるんですね。ですから、どのような感情でも、むしろ、はっきりと感じてあげること。それが、自分を100%愛する、ということの実践です。
そして、なぜ怒ったのか、何が頭にきたのか、なぜそんなにも寂しかったのか。自分に問うてみてください。それを知っていく、というのが、自分を見つめる、ということです。
愛とは、素晴らしくなれたから相手に愛されるのではありません。
あなたが、たとえ、自分に素晴らしい点が一つもないと思ったとしても。たとえ、素晴らしい仕事ができなくて、素晴らしい評価ももらえなくて、素晴らしい家も車もないとしても。
それでも、「あなたという存在」そのものを愛してやまないこと。それが、愛し合う、ということです。
あなたがぼろを着ていても、あなたがブランド品を身につけていなくても、あなたがたとえ彼を困らせるような気持ちを見せてしまったとしても。あなたが何歳でも。あなたがどんな体型でも。それでも、あなたを愛する。それが、愛というものです。
なぜならば、男女の愛とは、愛を求めたり、愛によって満たされようとするものではなくて、「二人で育むもの」だからです。
ですからね、その愛を実現するためにも、まずは皆さん自身が「自分の素晴らしさ」に気づいてください。
どんな私でも、そもそも素晴らしかったんだ、と、ご自分に言ってあげてくださいね。
素敵なコメントをありがとうございました。これからも、どうぞ、どんなご自分も愛し続けてください。あなたのそんな怒った顔も、愛おしいと認めてくれる人が必ずいますから!