ちゃんとしましょう。
きちんとしなさい。
私は、この言葉が好きではありません。
ちゃんとって?
きちんとって、どういうこと?
学校でよく使われる言葉ですよね。
私は、幼少期、自分の家にいる時も、ちゃんとしなくちゃ、きちんとしていようって思っていました。
親に褒められたくて。
先生に気に入ってもらいたくて。
友達から尊敬されるように。
仕事でも、できる女と思われるように。
だからいつしか、ちゃんとしていない自分を否定していました。
きちんとしていない自分は、ダメなんだ、と、判断するようになりました。
ちゃんとできて、きちんとしている私は受け入れられますが、そうでない私は、価値がないんだ、と思うようになりました。
明るくて笑顔で優しい私は、素晴らしい。
暗くて笑顔になれなくて、優しくなれなくて、うまくできない私は、素晴らしくない、という風に。
でもね、本当のことを書きます。
生命というのは、その、存在そのものに価値があるのです。
いい時ばかりが素晴らしいんじゃない。
泣いている時。
もがいている時。
懸命な時。
がむしゃらな時。
落ち込んだ時。
うまくいかない時。
馬鹿みたいな時。
失敗した時。
間違えた時。
苦しい時。
胸が痛い時。
モヤモヤする時。
気持ちが晴れない時。
ストレスフルな時。
実は、そのどれもが、まさに生命の表出であり、生命そのもの。生きているという、命そのものです。
地球上に、笑顔と明るさと喜びと幸せしかなかったとしたら。
真の意味で、それらの価値を知ることはできません。
なぜならば、その対極があって初めて、それらのものは、それそのものとして、存在することができるのですから。
あなた、という相手がいなければ、私、という概念は生まれません。
低い、という概念が、高い、を支えています。
つまり、どちらも、表裏一体なのです。
ですから、どんなにネガティヴにみえる状態でも、そこが、素晴らしいのです。
それこそが、美しい人間の姿なのです。
自分という1人の人間のすべてを、丸ごと受けとめる、というのはそういうことです。
すべてが、紛れもなく、生命そのものです。
そんなあなたが輝いているのです。