私は、これまでの学びを経て、確信していることがあります。
それは、どんな苦しみも痛みも切なさも、すべては、真実の愛に繋がっている、ということです。
私もこれまで、絶望や苦しすぎる胸の痛みがありましたけれども、それらはすべて、真実に愛を知るためだったのだ、と、今は深い理解があるのです。
そして、無償の愛、について今思うこと。
無償の愛、というと、相手のことを理解した相手のどんなこともゆるしたり、相手を受け入れたりすること、と思いがちではないかと思います。私も、そう思っていました。
でも、そう思っていた時は、まだ、心に痛みがあったり、むりやり相手の嫌なところを受け入れようとしたり、怒りがあるのに大丈夫なふりをしたり、そんな自分がいました。
それらを経て、分かったことは、無償の愛、の対象は、どこまでも自分自身である、ということです。
自分の過去の至らなさ。過去の間違いや失敗。自分のダメなところ。弱いところ。情けないところ。
もっとああすれば良かった。あんなことしなければ良かった。もっと優しくできれば良かった。もっと理解してあげたかった。。。
そのような、自分のすべてを抑圧せずに、感じきって、うけとめて、みとめて、丸ごと愛してあげること。
それが、無償の愛、だと私は思っています。
そして、自分自身に、真にそれができた時には、自ずと他者に対してもできているものだと私は思います。
ですから、やはり、相手に対してではなく、見つめる先は、どこまでも自分自身なのだと。
もし、今、辛い方がいらっしゃれば、そんなあなたに伝えたいです。
その痛みや苦しみは、必ずや、あなたを、真実の愛の世界に導いてくれています。ですから、無駄な痛みや苦しみは1つもないのです。それらの辛い時期こそが、大きく大きく羽ばたくチャンスなのですから。
大丈夫です。絶対大丈夫です。辛い時こそ、愛につながる貴重な機会を神様が与えてくださっているのです。
そしてこの言葉は、まさに私自身へのメッセージなのです。
ありがとうございます。
愛しています。