ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

女神は我慢しない、とは

 

愛に熱心な女神からご質問が届きました。この様なご質問を何度かいただいたことがありますので、同じようにお考えの方がいらっしゃるかもしれませんね。

 

 

 

 

最近は、とても具体的なご質問を書き込んでくださる方が増えました。皆さんが具体的に取り組もうとされることは、私にとりましても嬉しいことです。今後は、できるだけご質問にお答えしていきたいなと思いました。

 

 

 

========

 

 

hanabiさん、いつもありがとうございます。 疑問が浮かんでしまったので、もし機会があればご回答いただければ嬉しいです。

 

 

 

もし、相手と家庭環境の違いや経済格差がある場合、ある程度は相手に合わせたり我慢したりする必要があると思います。 たとえ経済的な価値観は違っても、彼と一緒ならそれだけで幸せですし、彼に合わせることができると思います。

 

 

 

でも、これって今、実践している「女性は女神であって我慢しなくていい。彼に合わせなくていい。自分の思いを大切にする。」ということと矛盾しているなと、 ふと思ってしまったんです。

 

 

 

確かに、質の良い食品や衣料を買いたいですし、お風呂は大きい方がいいですし、旅行などへ行ってけちけちしたくもないです。 今の満ち足りた生活に安住している私が、お風呂がないような家に行くことに不満はないというと嘘になりますし、この生活から出ることに怖さを感じます。

 

========

 

確かに、我慢しなくていいと言っても、彼との家庭環境の違いや経済格差がある場合、ある程度相手に合わせたり、自分が我慢しなければ、と思う場面があるかもしれませんね。

 

 

 

 

その場合と、我慢しなくていい、ということは矛盾しません。それを説明いたしますね。

 

 

 

 

 

例えば、今、私たちは、大きい家に住みたい、大きなお風呂がいい、ステキなカバンが欲しい、旅行したい、宝石が欲しい、など、そういう思いがあるとしますね。

 

 

 

 

それが、今すぐにすべて手に入らないこともありますよね。収入は人それぞれですし、どうしても手に入れたいものを、我慢せずにすべて購入したら、たちまち破産してしまうかもしれません。

 

 

 

 

この場合の、女神は我慢しない、ということは、今すぐに我慢せずにすべて購入することを指すのではありません。

 

 

 

 

「そういうことを求めることを我慢しない」「欲しいものを堂々と、私は欲しいのだと感じるままに感じてあげることを我慢しない」という意味です。

 

 

 

 

今、持っているカバンは、欲しいカバンではないけれども、私は女神としてふさわしいカバンを持ちたいので、それを願うことを自分に許可してあげること。それが、女神は我慢しない、ということです。

 

 

 

 

皆さんは、例えば、ステキなカバンが欲しいのに、私にはそれは似合わないとか、そんなステキなものは絶対に持てるわけがないとか、まだ起きてもいない未来のことを、ご自分で制限してしまっていることはないでしょうか? 欲しいものを、そんなものは私には似合わない、とか、欲しいのに欲しくないことにしたりとか、決めてしまうことが、我慢です。

 

 

 

 

欲しいものを、私はそれが似合うのだから、それを手に入れるようにお仕事をがんばろう、と思うことは、我慢になりませんよね。そういう希望があれば、たとえ、今は真に欲しいカバンではないとしても、いつかは持つことを自分に許可できているので、これからは、それに向かって楽しみにしながらがんばれる、ということになります。

 

 

 

 

 

ステキなカバンを持つことをご自分にゆるすことは、自分がステキな女神であることをゆるしていることになりますから、女神として我慢していない、ということになります。

 

 

 

 

 

たとえそれがまだ手に入っていなくても、それを持つことをご自分にゆるしてあげていれば、未来の希望になりますから、苦しい我慢、という感覚にはならないと思います。喜びの中でそれを手に入れる未来を自分でつくっていく、そのために、今できることを女神として楽しみながらやる、ということになりますね。

 

 

 

 

そして、彼とのことについて。

 

 

 

 

彼とのことについては、どちらかが、相手の状況に合わせよう、としていると、我慢になります。

 

 

 

 

 

しかし、全く同じ状況でも、彼と対話して、ご自分のお気持ちを相手に伝えて、相手からも相手のお気持ちを聴いて、お互いに共感できた時。そこに共感があると、我慢にはなりません。

 

 

 

彼に合わせなくていい、というのは、無理やり彼の意見だけに合わせる必要はない、ということです。

 

 

 

 

例えば、自分のお家のお風呂が大きくて、彼の家にはお風呂がないとします。

 

 

 

 

皆さんが、もし、お風呂のある家に住みたいのなら、無理に、私はお風呂がなくてもいい、というのは我慢になります。ここで、我慢しない、というのは、丁寧に、彼に、お気持ちを伝えることです。それは、彼の今の状況をすぐに変えて欲しいと願ったり、彼を責めたりするのではなく、ただ、皆さんのお気持ちを知ってもらう、ということが大切です。

 

 

 

私はお風呂がないのは不安だよ、それに適応できるか心配だよ、今と同じ生活ができなくなるのは、正直に言って怖いこともあるよ、と、丁寧に彼に伝えてみるのです。

 

 

 

 

そしたら、彼も皆さんに理解して、共感して、今はお風呂はないけれど、これから2人でがんばって、少しでも大きなお風呂に入れるお家に住もうね、ということになれば、それは我慢ではなく、2人の共感になります。

 

 

 

 

そして、お風呂がないことは、苦痛ではなく、お互いにじっくりとお気持ちを伝え合って対話した結果、今はそのような状況であることはすぐには変えられないとしても、お互いに愛のもと、今を乗り越えて、未来はもっとステキなお風呂に入ろうね、という、希望に満ち溢れた日々を過ごすことができるようになります。

 

 

 

 

 

どちらか1人が相手に合わせようとすると、我慢になります。

 

 

 

 

 

まったく同じ状況でも、深い対話を重ね、お互いに我慢せずに自分の希望を伝え、お互いに相手を理解しようとしながらお気持ちを伝え合えると、それは共感と希望になります。その時は、きっと、お風呂がなくても、気にならなくなっていると思いますよ!

 

 

 

 

 

2人にとって、大切なことは、たった今の現状がどうであれ、「同じ方向を見て歩いていること」です。

 

 

 

 

手と手を取り合って、同じ方向を見ていれば、2人の間にどんな困難があっても、お互いに我慢せずにお気持ちを伝え合い、わかり合い、分かちあい、思い通りになっていない現実があることも、それは我慢ではなく、むしろ2人の愛を深める機会になるでしょう。

 

 

 

 

 

やはり、丁寧な対話が鍵ですね!

 

 

 

 

 

ご質問をありがとうございました。これからも、少しずつ答えていきたいと思います。