私は自分が女神とは思えません。自分を愛せません。自分をどうしても否定してしまいます。自分の大嫌いな部分があります。過去の後悔がどうしてもゆるせません。
私のもとには、そんな言葉がたくさん届きます。
女神になる、自分を愛するということについてお伝えしますね。
それは、女神になれないとか、自分をどうしても否定してしまうとか、自分を責めてしまうとか、それらを「無くす」「克服する」ことをしてから、自分を愛せるようになるのではないのです。
それらは、そのままで大丈夫なんです。
自分を愛するというのは、そういう自分も含めて、そのまま愛することなんです。
自分を否定してしまう自分を見つけたら
「私は今、私を否定しているけれど、そんな自分もそのまま否定してもいいよと言ってあげよう」
そう、伝えてあげてください。
自分を責めても大丈夫。自分を愛せなくても大丈夫。
なぜならば、そもそも私たち人間は、それらの気持ちも、人間として「そうする可能性」を秘めてつくられているんです。
自分を否定したり責めたりすることが、全くの無駄な行為であれば、そもそも人間には、そうする能力が与えられていません。
では、なぜ、神様は、私たち人間が、自分を否定したり自分を好きになれなかったりする能力をつくられたのでしょうか?
わざわざ、そんな能力を私たち人間に与えたのでしょう?
それは、自分を否定したり、自分を責めたりすることで、「自分という存在の本質」に気付くためなんです。
もし、自分を否定するという能力がなかったら。それは、自分を肯定することしかできませんよね。
もし、私たちが、自分を肯定しかできないとすれば。肯定しかない、ということはつまり、自分の否定する部分、嫌な部分、辛い部分を感じられないことです。
そうしますとね、自分の素晴らしさにも気付くことができないんです。なぜならば、肯定しかないわけですから、すべてを肯定していたらどうやって、その中から素晴らしさを感じることができるでしょう。
自分の良さ、素晴らしさ、美しさは、その対極にある、自分のダメと思うところ、嫌なところ、汚いなと思うところ、それらがあるからこそ、際立って理解できるんです。
つまり、あなたの闇やダメな部分は、あなたの最も素晴らしいところに気付かせたくて、そのためにわざわざ存在してくれているんです。
その、あなたの最も素晴らしいところが、ありのままのあなたの姿です。
宇宙は、なんとしてでもあなたにあなたの最も美しい部分に触れさせたくて、わざわざ、自分を否定させたり、自分を責めさせたりしています。
あなたが素晴らしいからこそ、あなたに、自分を否定する、自分を責めることができる能力をつくられたのです。
自分を否定しまうことすら、神様が与えてくれたことなんです。
そして、自分を愛せないという経験は、それを通して、同じ痛みで苦しんでいる人たちの気持ちを理解することができます。
生まれつき虐待されたり、たらい回しされるような環境で育ったり、暴力に怯えるような暮らしを余儀なくされたり。そんな幼少期を送らざるをえなかったために、自分を愛せなくなった人たちに共感し、その方々に愛を送れるのは、自分を愛せないという経験をして、その辛さを知っている皆さんだからこそ、です。
皆さんの苦しみや痛みは、誰かの愛に繋がるものなんです。そうやって、人と人とは、愛を出し合って、愛で支えあって生きていくものです。
そして、皆さんの大切な彼や彼女は今、本当に幸せだけの気持ちで生きているでしょうか。なんの悩みもなく、苦しみもなく、ただ幸せな気持ちだけで生きているものでしょうか。
彼や彼女の気持ちに想いを馳せることができるのも、皆さんが、自分を否定したり自分を責めたりする経験があるからです。それによって、もしかしたら彼も同じ人間なので、自分を否定したり責めたすることがあるのかもしれないな、と、彼の立場に立つことができるんです。
女神とは、苦しみや切なさがないことではなく、それらも含めて愛せることです。
それらがあるからこそ、その対極にある幸せをしることができるとすれば、苦しみや切なさも、愛の一部です。
苦しんだり悲しんだりできる。それも、人間だからこそ、です。どうぞ、そんなご自分も、嫌わずに、そのまま認めて、抱きしめてあげてくださいね。