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ツインレイの愛を生きる

ツインレイとして生きることで、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

あなたの「普通」と私の「普通」

私たちは、物事を判断したり行動したりするときに、「自分」という中心点から、物事を考えます。

 

 

例えば、関東では、エレベーターに乗るときに、左側に立って右側にスペースを空けます。エレベーターを歩いて登りたい人は、空いている右側を登っていくことができます。

 

 

 

関西では、エレベーターでは、右側に立って左側にスペースを空けます。エレベーターを歩いて登りたい人は、空いている左側を登っていくことができます。

 

 

 

関東でも関西でも、単にそのような風習がある、というだけで、どちらが「正しくて」どちらが「間違っている」ということはありません。

 

 

 

しかし、もし、あなたが関西の人で、「エレベーターは左側を空けるものなのだ」と思い込んでいたとします。

 

 

 

生まれて初めて関東で、エレベーターに乗ろうとしたら、みんな左側に立っているため、右側を歩いて登らねばなりません。

 

 

その人は、その光景を初めて目にしたときに、思います。

 

 

 

なぜ、関東では「間違って」右側に立っているのか?左側に立つのが「正しい」はずなのに。

 

 

関東の人は、おかしいのではないか?

 

 

 

関西のように右側に立ったほうがいいのに。

 

 

 

 

 

これは、「自分」を中心に、物事を考えるから起きる感情です。そして、それがその人にっては「普通」なため、自分のその慣れ親しんだ考えが変だ、という風に思わない。

 

 

 

 

自分を「正しい」と考えるとき、相手が「間違って」見えます。

 

 

 

自分の慣れ親しんだやり方が「普通」と思うとき、相手のやり方が「おかしい」と感じます。

 

 

 

何か2人の間に問題が起きたとき。

 

 

 

1人が、「しっかり話し合うことが普通」と思い、相手に話し合いを求めることが「普通」だと思うとします。

 

 

 

もう1人が、「問題が起きたらその場から立ち去って、いざこざが起きないようにすることが普通」だと思い、当たり前のように「その場から立ち去る」とします。

 

 

 

これは、お互いがお互いに、「普通だ」と思うことをしているため、

 

 

 

自分のしていることが、まさか相手を傷つけたり、相手に不快な思いをさせているということをお互いに知りません。自分は正しいことをしている、からです。

 

 

 

 

あなたの「普通」と相手の「普通」が、2人の「不通」を生み出してしまっている。。。

 

 

 

 

 

 

日本人は箸でご飯をたべ、西洋の人はスプーンで食べ、アフリカのどこかの国では手づかみです。

 

 

 

生まれたときから、そう教わってきて、それが普通になっています。

 

 

 

あなたのその考え方も、あなたのその普通も、あなたのその物事の見方も、

 

 

 

それが絶対的に、本当に正しいものでしょうか?

 

 

 

あなたが日本に生まれ、その両親のもとで育ち、その両親の考えに影響を受け、自分の進んできた学校で学び、自分の様々な経験をしてきたからこそ、あなたが至った「普通」です。

 

 

 

相手も同じように、その相手の環境で生まれ育ち、様々な影響を受け、経験をし、自分の「普通」に至りました。

 

 

 

 

ツインのステージとは、その握り締めて放さなかった自分の「普通」を、ぶち壊すことです。

 

 

 

普通とはなにか、すら考える機会がなく、普通の生活を送ってこれた人もたくさんいると思います。

 

 

 

 

でも、自分の普通、が、思うようにいかなかったとき、私たちは考えるチャンスが与えられます。

 

 

 

 

そもそも、それは本当に普通なのか?

 

 

 

私が本当に正しいのだろうか?

 

 

 

相手が本当に間違ったことをしているのだろうか? 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

去ることが、彼にとっての愛。

話し合わないことが、彼にとっての愛。

会わないことが、彼にとっての愛。

無視することが、彼にとっての愛。

 

 

 

あなたに愛してると言わないことが、彼にとっての愛。

 

 

 

 

だとしたら?

 

 

 

 

 

 

 

お互いに、お互いの普通を壊しきって、あれもこれもそれも愛だったのだ、と知っていくのが、ツインのステージです。

 

 

 

あれもこれもそれも愛だったのだ、と理解したとき、

 

 

 

自分の思うような愛され方で愛されたいという気持ちはもやは存在しなくなり、

 

 

 

相手のような素晴らしくて美しくて、かっこよくて光輝く人が、ここに生きているというそれだけで、歓喜したくなるほどの愛に心が満たされます。

 

 

 

 

 

そしてあなたは思い出すでしょう。

 

 

 

 

過去のあの失敗や、あの後悔や、あの悲しみを生み出した出来事も

 

 

 

そこにあったのは、本当は自分の純粋な、愛、であったこと。

 

 

 

 

愛がゆえに悲しみを経験してきたこと。

 

 

 

 

そしてそれらのすべてが、真実の愛に繋がっている、ということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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