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ツインレイの愛を生きる

ツインレイとして生きることで、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

批判について

怒りと同じように、批判する、という心の動きは、まるでその批判がまっとうのように思えますが、実は、そこにも、批判の正体があるんです。

 

 

ご自分が何かを、誰かを批判している時を考えてみてください。

 

 

 

そういう時は、相手が間違っている、そしてそれは、自分は正しい、という気持ちではないかと思います。

 

 

 

なぜ、相手を批判して、自分の正しさを証明しなければならないのでしょうか。

 

 

 

それは、多くの場合、

 

 

 

 

ご自分の劣等感からきています。

 

 

 

自分に意識が向いて、自分に焦点が当たっている人は、相手が正しいとか間違っているとか気になりません。

 

 

 

また、自分が自分自身に満たされている人は、批判することで優越感を感じようとも思いません。

 

 

 

 批判とは、劣等感の裏返しだったのです。

 

 

 

だから、もし、自分が誰かに批判されても、行動などを振り返ることはしても、決して自分を責める必要はありません。

 

 

 

批判する人は、その人の心の内側に批判せねばならない理由があるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、誰かを批判したくなったら、その気持ちを抑圧せずに、とことんその人に対して批判してみます。

 

 

 

そして、その感情を出し切ったあとに、自分に問うのです。

 

 

 

 

なぜ、私は、相手を批判しているのだろう、と。

 

 

 

なぜ、私は、自分は正しくて相手は間違っていると、そんなジャッジをしているのだろう、と、何度も自分に聞いてみてください。

 

 

 

その、正しいとか正しくないとか、そのような価値観が、本当にあっているのでしょうか?

 

 

 

たまたま、自分は、そういう生き方をしてきたからそう考えるだけであって、もし、自分がその相手のような人生を送ってきていたら、その人と同じような価値観を持っていたのではないでしょうか?

 

 

 

 

日本では、靴を脱いで家に入るのが当たり前。

 

 

 

アメリカでは、靴のまま家に入るのが当たり前。

 

 

 

その人の持つ、当たり前、とは、そんな脆いものなんです。

 

 

 

 

相手を批判したくなったら、自分がジャッジしているために使用している物差しを疑ってみると良いです。

 

 

 

ツインとは、そのジャッジの物差しを手放すために出会ってくれていると私は思います。ジャッジの物差しを握っている以上、この地球では常に何かと戦っていなければならないからです。

 

 

 

 

違いをジャッジせずに、違いを受け入れる。そんな私でありたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

批判ということに集中してみますとね、もう、無意識のうちに、笑っちゃうぐらいジャッジをしている自分に気付きます  笑     私の方が知っているとか、私の方が正しいとか、私の方がうまいとか。もう、自分に笑うぐらい、ジャッジの嵐です

 

 

それぐらい、ジャッジの世界が当たり前の社会に生きてきたんだな、生きているんだなって思います。

 

 

だから、子供の頃の私は、そしておそらくあなたも、この、ジャッジの世界で、不安に苛まれて生きてきたんだろうな、と思います。

 

 

人を批判する人は、過去に批判されたことのある人です。

 

 

ですから、そのような人を、そんなことはいけないとまたもや批判するのではなく、批判しちゃうよね、って抱きしめたいです。