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ツインレイの愛を生きる

ツインレイとして生きることで、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

いただいた質問より

コメント欄に以下のような質問をいただきました。

 

「なにをもって7ステージに到達した、統合したといえるのか」

 

「なにをもって相手と使命をまっとうしているといえるのか」

 

これからの日記はしばらく、このことにつきまして書いてみたいと思います。

 

 

まず、「統合」について。

 

私は、統合とは、「完全なる非二元性への到達」のことだと理解しています。

 

 

統合とは、辞書によりますと

 

2つ以上のものを合わせて1つにする

 

という意味です。

 

この地球は、二元の世界と言われていますよね。男女、高低、暑い寒い、広い狭い、多い少ない、陰陽、好き嫌い、幸せふ幸せ、などなど。

 

これらのことについて、なんの価値判断もせずに、それらのすべてが自分という宇宙の中にある、ということを認め、それらをそのまま純粋に体験する。

 

それが、統合が達成された状態だと私は考えます。

 

 

 

人は、生まれてきてからの環境、文化、親の意見、教育などにより、自分で自分の価値観を作り上げてきました。そして、自分の意見こそが正しいのだと思いがちです。

 

しかしながら、それらの価値観は、そのような過去があったからこそそうなっているのであり、もし、自分が他の人と同じ親に生まれ、同じような環境で育っていたとすれば、その他者のような価値観を持っているかもしれません。

 

私たちは、犯罪者を悪い人、とみなしがちですが、もし、私たちがその犯罪者の人と同じ親に育てられ、同じ環境で、同じような出来事の連続だったとしたら、その犯罪を自分は犯していないと言い切れるでしょうか。

 

つまり、自分が固く信じている自分の価値観や判断材料とは、後天的なものであり、変わりやすく、たまたまそうなっている、といえるものだと私は学びました。

 

つまり、自分が大嫌いな人の価値観も、認めたくない価値観も、人として、ありうるものであり、この宇宙ではその存在をゆるされているものです。

 

ですから、善悪で判断するのではなく、すべてを、純粋な経験としてうけとっていく。。。

 

それが、統合を達成したときの姿ではないかと私は思っています。

 

 

例えるならば

 

 

 

彼が去ってもいい。

彼に嫌われてもいい。

彼に愛されなくてもいい。

彼に無視されてもいい。

 

 

究極には

彼に再会できなくてもいい。

彼に子供ができてもいい。

彼が他の女性を愛してもいい。

 

 

統合の状態では、このように思えていると私は考えます。

 

 

「そんな考えは受け入れられない」と思われるかもしれません。

 

でも、統合とは、魂の本来の姿、つまり、無の状態ですから、上記のような考えも、すんなりと受け入れられている状況と思います。

 

 

そしてこれは、つまり、

 

彼が去るのは嫌だ

彼に嫌われるのは嫌だ

彼に愛されたい

彼に無視されたくない

 

 

彼と絶対に再会したい

彼に子供ができるのは絶対に嫌だ

彼が他の女性を愛するなんて許せない

 

 

 

という自分の声を、そのまま、ありのままゆるす、ということでもあります

 

 

どちらかじゃなければいけない、のではなく、どちらだとしても、それを感じている自分を大切にすること

 

そして、そういう思いに気づく自分がいること

 

つまり、自分を見ている「創造主」としての自分がいる状態です。

 

 

長くなりますので、「いただいた質問より2」に続けます

 

 

 

質問をありがとうございます。私も自分と向き合う良いきっかけになっています

 

 

ありがとうございます

愛しています