ツインレイの愛を生きる

愛の学びを通して、真実の愛を知りました。愛そのものとして生きましょう。奇跡は常に起きています。

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相手がツインかどうか、について

ご質問におこたえいたします。

 

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hanabiさん、こんにちは。

 

 

ツインの情報を読んでいると、統合までは体の関係はないと断言されているものばかりを見ます。 体の関係がある場合は100%ツインではない。と。

 

 

 

私とツインと思われる彼とは体の関係があります。 ツインじゃなくても私を成長させてくれた彼と出会えただけでいいと思う気持ちもあるのですが、100%違うと否定されて悲しく思っていた頃があります。

 

 

 

ちなみに彼と体の関係があるからこそ、私はコンプレックスから解放されました。 そこから、自分に自信が持てるようにもなりました。

 

 

彼と会ったのは3回ですし、一緒に過ごした時間もあまりにも短いです。 でも、時間など関係なく1年が経とうとしている今でも私の心には彼がいます。 もしよろしければhanabiさんの見解を教えていただけたらと思います。

 

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このようなご質問をいくつかいただいております。体の関係のことに関わらず、相手が本当にツインなのかどうか、様々な情報がたくさんありますから、悩まれている方は多いと感じます。

 

 

 

 

まずですね、「体の関係がある場合は100%ツインではない」ということは、確かにたくさんの情報に書かれています。これには理由があるんですね。

 

 

 

なぜ、ツインは統合まで体の関係がないのか、というのは、それが、いわゆる分離期間の2人にとって必要なことであり、体の関係がない状況で離れていることに意味があり、だからこそ、体の関係がない状況の時に2人は引き離される、と言われています。

 

 

 

 

この時に考えていただきたいことが2つあります。

 

 

 

 

まず、いつも書いておりますが、その、「体の関係がある場合は100%ツインではない」というのは、絶対的に正しい情報ではないわけです。なぜなら、万が一絶対的に正しい情報だとしても、この地球上では「絶対的に正しい」というためには、科学的根拠が必要なんですね。

 

 

 

おそらく、質問者さんが読まれた情報には、その科学的根拠は掲載されてなかったと思います。なぜならば、科学的根拠がないからなんです。

 

 

 

科学的根拠がない情報を、この地球上では、絶対的に正しいとは言えないんですね。ですから、それは、ご自身が信じるのかどうか、ということが大切なんです。私は信じない、という態度を選んでも大丈夫なんです。

 

 

 

 

ただし、絶対的に正しい情報はないとしても、多くの方が言っている情報は、信じるに値するかもしれない、という見方は持たれているとそれはご自分のためになると考えられます。なぜならば、絶対的に正しい情報がない時には、多くの方の意見を参考にすることは、ご自分が信じる一助になるからです。しかし、繰り返しますが、絶対的に正しい情報がないことというのは、「自分がその情報を信じるのか信じないのか」が大切になります。

 

 

 

 

そして、もう1つ。

 

 

 

もし、ネットの情報に当てはまらないので、相手がツインではないかもしれない、と思ったとしますよね。

 

 

 

 

でも、相手がツインではなくたって

 

 

 

 

その人が〇〇さんという存在そのものには、何1つ違いがないんです。「何1つ」です。

 

 

 

 

好きになって、身体の関係がある異性というのは、人生ではたして何人出会えるのでしょう。かなり限られてますよね。しかも、身体の関係ですから、かなり親密な間柄だったと思うんです。

 

 

 

 

そして、もし、過去に身体の関係があるほどの親密さがあったご関係で、あなたが「彼と体の関係があるからこそ、私はコンプレックスから解放されました。 そこから、自分に自信が持てるようにもなりました。」という、この事実こそが非常に大切なことなんです。

 

 

 

あなたがコンプレックスから解放されて自分に自信が持てたのならば、相手がツインであるかどうかは関係のないことですよね。相手がツインでないとしても、その事実には何ら変わりがないし、あなたは、身体の関係があったという、何にも変えがたい素晴らしい過去があったんです。

 

 

 

 

 

そして、よく考えていただきたいんです。

 

 

 

なぜ、そんなにも自分に自信をつけてくれた、愛する男性がツインではないと悲しいのでしょう。

 

 

 

 

戻ってきてくれないから?

 

 

 

 

魂が繋がってないから?

 

 

 

 

なぜなのでしょう?

 

 

 

 

きっと、ご本人なりのお考えがあると思いますが、そこをじっくりと、ご自分の答えが出るまで考えてください。

 

 

 

 

ツインではないと悲しい、というのは、その人そのものを愛しているというよりも、ツインという関係性のほうを求めてしまっています。

 

 

 

 

 

身体の関係があるほどの、そして、一年たっても愛しているという、そんなにも素晴らしい相手との関係性と、その男性がいたからこそのご自分の学びと成長が、ツインという概念によって悲しまれるとしたら、その現実が泣いちゃいます。

 

 

 

 

もっとご自分の現実、過去に起きたことそのものを、愛してあげてください。

 

 

 

それらは、ツインであってもなくても、とっても大切な大切な出来事です。

 

 

 

 

 

皆さんの中には、過去の苦しみや、辛さもある方もいらっしゃると思いますが、それによって、皆さんが学んだり成長できたとすれば、その人がツインかどうかに関わらず、その、皆さんの学びや成長に大きな意味があるのです。

 

 

 

 

 

ご自分の学びや成長を、もっと愛してあげてください。

 

 

 

 

その男性そのものは、ツインかどうかには関係がなく、その人はいつだってその人です。

 

 

 

 

どうぞ、その男性の存在そのものを愛してくださいね。

 

 

 

 

ご質問ありがとうございました。

 

 

自分の価値

皆さんが、例えば、大切にしているご自分のスマホや携帯を、他の誰かに傷つけられたり、粗末に扱われたら嫌ですよね。

 

 

 

どこかに投げられたり、あんなスマホはダメだ、なんて誰かに言われたら悲しいです。

 

 

 

 

愛車とか、お家とか、カバンとかお気にいりの洋服とか、アクセサリー、財布など、皆さんが大切に使っているものは、皆さんはとても大事にされていると思うんですね。

 

 

 

 

その、大切なものの最大なるものは、皆さんの生命ではありませんでしょうか。

 

 

 

 

皆さんというご自身の存在以上に、大切なものがありますでしょうか。

 

 

 

 

あなたは、ご自分という大切な大切な、この世界にたった1人の存在を、一番近くにいるあなたご自身が、嫌ったり、否定したり、劣っていると思ったりしたら、あなたの生命は悲しんでしまいます。

 

 

 

 

 

相手に嫌われたり、拒否されたり、無視されたり、イヤな言葉をかけられたりしたとします。

 

 

 

 

その時に、たとえ相手にそうされたとしても、それは、あなたの価値が低いとか、あなたが劣っているから、とか、あなたがダメだったから、ではないんです。

 

 

 

 

相手がそうすることと、皆さんの価値は、実は別問題なのです。

 

 

 

 

たとえ相手があなたを否定しても。

 

 

 

 

それは、その時のその相手がそう思った、ということですよね。

 

 

 

 

でも、考えてみてください。

 

 

 

 

 

そもそも、相手は、皆さんのすべてのすべてを理解しているわけではありません。

 

 

 

 

その時、相手に映った皆さんの姿は、あなたの表面であり、皆さんの一部です。

 

 

 

 

もしかしたら、あなたは相手に依存したり、嫌な言葉を言ってしまったかもしれません。

 

 

 

 

でもね、その行動だけが、その時の言葉だけが、あなたという人を表しているわけではありませんよね。

 

 

 

 

あなたは、時に意地悪だったり、あなたの行動が相手にとって嫌なものに映ったかもしれません。

 

 

 

 

でも、私は知っています。

 

 

 

 

あなたは、たとえその時はそうであっても、心の中はたくさんの優しさが詰まっています。相手には届かなかったかもしれないけれど、本当はとても可愛らしくて、清らかなお気持ちがあって、相手を思いやり、相手を愛するからこそのその行動や言葉になったんです。

 

 

 

 

相手は、その、皆さんの心の内側まで見れていなかっただけなんです。

 

 

 

 

相手に否定されても、傷つけられるようなことをされても、それはただ、あなたの一部に対して、相手が放った言葉や行動です。

 

 

 

 

もし、仮に、今、皆さんが思っている相手があなたという素晴らしい存在を愛することはしないと選択したとしても、それで皆さんの価値が変化するわけではありません。その場合は、他に皆さんのすべてを深く愛する異性がいる、ということなんです。

 

 

 

 

 

もしくは、皆さんを心では愛していても、あなたの行動とか言葉だけを判断して、それに対してなんて言って良いのか言葉が見つからない、という場合もあります。男性は、自分の感情を言葉にするのが苦手ですから、相手に伝えるぐらいなら黙っておこう、と思う方も少なくありません。

 

 

 

 

 

もう一度言います。

 

 

 

 

相手の拒絶、無視、連絡がないことと、皆さん自身の価値は「別問題」です。

 

 

 

 

相手にどんなことをされたとしても「私は私の価値をちゃんと知っているよ」「他の誰がなんと言おうと、私はあなたをすべて愛しているよ」と、何度でも言ってあげてください。

 

 

 

 

 

あなたがどんなに悩んでいても、どんなに苦しい気持ちの時も、皆さんの生命の鼓動は、どんな時もひと時もとまることなく、全力で皆さんを生かしてくれています。

 

 

 

 

時々、ご自身のハートの鼓動と対話してみてください。毎日毎日、健気に、懸命に生きています。

 

 

 

 

皆さんは、言葉にならないほど価値があるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心とはそもそも揺れるものです

様々な感情が起こると思います。

 

 

 

辛さ、悲しみ、やるせなさ、切なさ、こころのいたみ。

 

 

 

 

そういう時に、自分を愛する、というのは、「起きてきた感情に善悪をつけない」「抵抗しない」ということです。

 

 

 

心は、抑圧したり抵抗すると辛くなります。

 

 

 

 

いつも幸せそうな人は、悲しみや辛さがない人生なわけではないんですね。

 

 

 

 

いつも幸せな人は、悲しみや辛さがあっても、それをご自分で受け入れ、それも認めて愛してあげている人なんです。

 

 

 

 

無駄な感情や、感じてはいけない感情はありません。

 

 

 

辛い時は、その辛さに抵抗せずに、まずは、「そのまま感じていいよ」「そこにいて大丈夫だよ」と言ってあげてください。

 

 

 

悲しい時は、その悲しみをないことにしてしまわずに、「今のあなたはそう思っているんだよね」「私はあなたの悲しみをちゃんと知ってるよ」と優しくご自分に伝えてあげてください。

 

 

 

そもそも、心というのは、コンクリートみたいに固まっているわけではなくて、喜怒哀楽を感じるように、揺れるようにできています。

 

 

 

 

揺れるものを固定しようとしたり、強引に違うものにしようとすると辛くなります。

 

 

 

 

 

いろんな感情が湧いてきたら、見ないふりをせず、ないことにもせず、海の波のように、揺ら揺らと揺らしていてあげてください。

 

 

 

皆さんは、その上を、サーフィンしているみたいに、波と一緒に揺れていてください。

 

 

 

そうしますとね、サーファーのように、段々と、その波の乗り方や、対処の仕方が分かってきます。

 

 

 

時に、大波が来ても慌てません。なぜならば、その大波も、波打ち際に行けば、静かになると分かっているからです。

 

 

 

心は一定ではないということは、辛さや悲しみも、時期に穏やかになっていきます。

 

 

 

まずは、抵抗しない。抑え込まない。ないことにしない。

 

 

 

 

そして、リラックスしてその波に揺られていてください。肩の力を抜いて、くつろいでください。

 

 

 

海の表面がどんなに荒れていても、深海は、いつもいつも穏やかです。

 

 

 

 

大波の時でも、海の底はとても静かで、可愛い魚たちが緩やかに泳いでいます。

 

 

 

 

皆さんがどんなに気持ちが揺れても、皆さんの深い部分は宇宙と繋がっていて、ありのままの、愛そのものの皆さんがちゃんと存在しています。

 

 

 

 

辛さや悲しみを嫌わないで、大丈夫だよ、そんな感情を感じるあなたも愛しているよって言ってあげてくださいね。

 

 

 

 

ご自分を否定しても、私はダメだなって思っても、それすらも否定せずに、今はそう思うのよね、って伝えてあげてください。

 

 

 

 

あなたはありのままで大丈夫です。ダメさもうまくできないところも含めて、あなたは丸ごと宇宙から愛されています。

 

 

 

 

 

 

素晴らしい自分になるために

メッセージをいただきました。

 

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私は、本当に好きな人が出来てから よく泣いてましたが、最近は少なくなって 他人に対して感情を出すことが出来るようになりました。

 

 

思いっきり怒ったりもします。 昔の自分では考えられない事です。

 

 

けど、こんなに素直になれる自分が嬉しくて。 怒る事でさえ、愛があれば人をいい方向に動かす事ができる事を身をもって経験してます。

 

 

愛を知って、そこから色々な人に出会えた事。 hanabiさんに出会えた事。 色んな物が混ざりあって、今の私がある。 それを楽しんでます(^∇^) またコメントさせて下さい

 

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怒ったり素直になれるご自分になれて良かったですね。

 

 

 

「素晴らしい私」というのは、自分が理想とする自分になったり、怒らないで愛でゆるせたり、批判したり文句を言わなかったり。そういう、「自分の素晴らしいと思う面を見せることができる私」「自分が考える素晴らしいところを実現した私」「ダメな自分を克服して、素敵な自分になれた私」ではないのです。

 

 

 

「素晴らしい私」とは、自分のダメなところ、いやなところ、嫌いだと思っていたところ。それらがあっても、私は大丈夫だったんだ、そういう私もいるけれども、それは私の一部であって、それらもひっくるめて私はそもそも「不完全な人間」として、この地球に生きている生命の存在として素晴らしかったのだ、と気づいた私のことです。

 

 

 

ですから、怒ってもいいのです。頭にきても、誰かを批判しても、ムカついても、文句を言っても、いいんです。まずは、その、心に浮かんできた感情を、そのまま、認め、あなたはそう思っているのよね、と、ご自身の感情を愛してあげてください。

 

 

 

素晴らしくない感情など一つもないのです。

 

 

 

感情はその感情が起きてもよいからこそ、喜怒哀楽が人間には与えられました。ですから、感じてはいけない、ということはひとつもありません。

 

 

ただし、それは、そのまま相手にぶつけたほうがいい、ということではなく、それらの、自分に浮かんできたすべての感情を、自分を知るきっかけにするんです。自分と対峙するための、気づき、として捉えるんですね。ですから、どのような感情でも、むしろ、はっきりと感じてあげること。それが、自分を100%愛する、ということの実践です。

 

 

そして、なぜ怒ったのか、何が頭にきたのか、なぜそんなにも寂しかったのか。自分に問うてみてください。それを知っていく、というのが、自分を見つめる、ということです。

 

 

 

 

愛とは、素晴らしくなれたから相手に愛されるのではありません。

 

 

 

あなたが、たとえ、自分に素晴らしい点が一つもないと思ったとしても。たとえ、素晴らしい仕事ができなくて、素晴らしい評価ももらえなくて、素晴らしい家も車もないとしても。

 

 

それでも、「あなたという存在」そのものを愛してやまないこと。それが、愛し合う、ということです。

 

 

 

あなたがぼろを着ていても、あなたがブランド品を身につけていなくても、あなたがたとえ彼を困らせるような気持ちを見せてしまったとしても。あなたが何歳でも。あなたがどんな体型でも。それでも、あなたを愛する。それが、愛というものです。

 

 

なぜならば、男女の愛とは、愛を求めたり、愛によって満たされようとするものではなくて、「二人で育むもの」だからです。

 

 

 

ですからね、その愛を実現するためにも、まずは皆さん自身が「自分の素晴らしさ」に気づいてください。

 

 

 

どんな私でも、そもそも素晴らしかったんだ、と、ご自分に言ってあげてくださいね。

 

 

 

素敵なコメントをありがとうございました。これからも、どうぞ、どんなご自分も愛し続けてください。あなたのそんな怒った顔も、愛おしいと認めてくれる人が必ずいますから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無条件の愛とは

真実の愛とは、無条件の愛のことです。

 

 

 

ただ、愛する。

その人をそのまま愛する。

 

 

 

これが、誰かを真に、無条件に愛するということです。

 

 

 

 

そして、これには続きがあります。

 

 

 

 

無条件の愛、とは、相手に対して条件なしで愛することだけではありません。

 

 

 

 

ご自分のことも、全く同じなんですよ。

 

 

 

 

つまり、皆さんは、お相手に愛されるために、1つの条件もいらないのです。

 

 

 

 

皆さんは、無条件に、相手から愛されて良いのです。

 

 

 

 

皆さんが愛されるために、もともとなんの条件も必要ないのです。

 

 

 

 

愛されるような女性になろうとか、愛されるように私は変わろうとか、愛してもらえるような性格になろうとか。それらは、無条件に愛されていることにはなりませんよね?

 

 

 

無条件に愛されるとは、今の皆さんのまま、つまり、ダメなところがあっても、人より劣っているところがあっても、優れたところがなくても、ドジでものろまでもうまくできなくても。

 

 

 

 

 

それらもひっくるめて皆さんなのですから、そのままの皆さんは、無条件に、ありのまま愛されて良いのです。

 

 

 

 

「私は、無条件に愛されても良い女性なのだ」と、無条件に愛されることをご自分にゆるしてあげてください。

 

 

 

 

もし、皆さんが無条件にお相手から愛されているという実感がないとしたら。

 

 

 

 

それは、皆さん自身が、ご自分のことを無条件で愛していないからなんです。皆さんが、相手から無条件に愛されることをご自分にゆるしていないからなんです。

 

 

 

 

つまり、私は〇〇がダメだ、私は〇〇を直さなければ愛されない、私は〇〇が劣っている、と、皆さんがご自分を無条件に愛していないと、相手からも無条件に愛されないんです。

 

 

 

 

皆さんが、お相手のことを私は無条件で真に愛している、と思うのであれば、まずは、それと全く同じことを、相手ではなく皆さん自身にやってあげるんです。

 

 

 

 

これが、無条件の愛、無償の愛、です。

 

 

 

 

まずは、あなたがあなた自身を、無条件に、無償で愛してあげてください。

 

 

 

 

「無条件」というのは、その名の通り、一切の条件を無くすことです。あなたは、1つの条件も無しに、あなたのことを存分に愛してあげてください。そんなにも懸命に生きているあなたです。そんな風にがんばっているあなたを愛するのに、条件なんて必要ありません。

 

 

 

 

 

 

彼に対しての気持ちは変わっても良いのです

いただきましたメッセージより、一部ご紹介させていただきます。

 

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hanabiさんこんにちは。

 

 

最近のブログ、要点がスッキリしていて 今までの復習の様でとてもわかりやすいです。 ありがとうございます。 こちらのブログを読みながら、同じような内容でも私の心に響き方が変わってることに気付けます。 

 

 

 (中略)

 

 

何があっても私は私のそばにいると今は思えることが 苦しかった彼との向き合いの中で獲得出来ました。

 

 

 

彼にはぶっちゃけ存在だけで、特に何もされてないのですが、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

私自身をゲット出来たら、ふと、彼から「卒業」という気持ちになっています。

 

 

 

勿論1日何度も思い焦がれますが、何だろう?執着が卒業なのかなぁ? 今は私を見て、じゃなくて 私と同じ方向を向いて歩ける人が欲しいのです

 

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彼に対して気持ちが変わった、もしくは、例えば彼はツインじゃないかもしれない、彼のことを前ほど執着しなくなった、彼を前ほど求めなくなっている、等というご意見をいただくことも少なくありません。

 

 

 

これは、普通のことなんです。そして、ご自分と向き合うということをしますとね、彼に対しての気持ちが変わることの方が当然のように起きてきます。

 

 

 

なぜならば、人の心というのは一定ではなく変わりゆくという本質があるからです。

 

 

 

 

例えば、お父さんやお母さんに対しての気持ちも変わってきますよね。時には頭にきたり、時には感謝の気持ちに溢れたり。それは、自分の置かれた環境、自分の状況によって、変わるのは普通なんです。

 

 

 

彼を深く愛したり、彼を愛おしく思うことと同様に、例えば彼を嫌いになったり、彼に怒ったり、彼を好きじゃないと思っても大丈夫なんですよ。

 

 

 

 

そして、もし、皆さんが彼はツインではなかった、と思った場合、それは別に愛を育める異性がいる、ということですから、それはそれで良い気付きなんです。

 

 

 

コメントをくださった方のように、「彼からの卒業」が感じられるのも、自然なことです。なぜならば、皆さんが成長したり、考え方が変化すれば、相手を見る目も変化するのがごく普通だからです。

 

 

 

ここで、相手はツインだからとか、相手はツインに違いないと思い込みますとね、自分のその自然な感情を感じられなくなってしまいます。

 

 

 

そして、「彼はツインだから」というお気持ちが、時に、自分が辛いのに辛くないふりをしたり、苦しいのに無償の愛だからゆるそうと思ったり。そういう、偽りの気持ちを生み出してしまうこともあります。

 

 

 

とことん、ご自分のお気持ちに正直になってみてください。

 

 

 

 

本当は、もっと大切にされたいのでは?

 

 

 

本当は、もっと深く分かりやすく愛されたいのでは?

 

 

 

ツインだからといって、納得したりゆるしたりして、ご自分のお気持ちに蓋をしないでくださいね。

 

 

 

成長とは、とことん素直になり、ありのままでいられるようになることです。

 

 

 

 

自分よりも彼を優先してはダメです。まずは、皆さんがご自分を大切にしなければ、誰があなたを大切にしてくれるのでしょう。

 

 

 

彼に対して、気持ちが変わるのは普通なのだ、とご自分に言ってあげて、ご自分の本当のお気持ちをちゃんと聞いてあげてくださいね。

 

 

 

 

メッセージに書いてくださった

 

 

 

「何があっても私は私のそばにいると今は思えることが 苦しかった彼との向き合いの中で獲得出来ました。」

 

 

 

素晴らしいですね。ご自分がご自分を満たせる、ご自分がご自分のことを理解できれば他の人に理解されなくたって大丈夫。それがよく分かるメッセージですね。こう思えたのはご自分に向き合ったがんばりの賜物です。

 

 

 

 

彼の魂がそんなにも素晴らしく感じられるのならば、それは、あなたの魂もそれほど素晴らしいということなんです。

 

 

 

どうぞ、ご自分を見つめて、ご自分の良き理解者となってあげてくださいね。

 

 

 

 

そして、自分軸を築いていきますと、メッセージに書いていただいたように、彼にご自分が愛されることよりも、共に愛を育むこと、共に同じ方向を見て成長していくこと、のほうに意識が向いていきます。そして、その波動が相手に伝わって、彼とそのような関係性になれるか、もしくは、共に愛を育める別の相手に出会うか、そういうことが起きてきます。

 

 

 

 

ですから、どうぞこれからも自分軸でお進みくださいね。

 

 

 

素敵なメッセージありがとうございました。

 

 

 

 

 

追伸

皆さん、メッセージやメールありがとうございます。全部読ませていただいております。全部ご紹介したいぐらいです。これからもありがたく読ませていただきます。

 

 

 

手放すということ

少し前の記事にも書きましたが、ツインのステージでとても分かりにくく、迷いやすいところがあります。

 

 

 

それは、学びのステージが進むにつれて、相手がツインかどうかこだわらなくなる、というところです。

 

 

 

これは、ツインかどうかどうでもよい、という意味ではありません。

 

 

 

 

魂の学びが成長しますとね、相手のことや目の前の現実の結果を手放せるようになります。

 

 

 

 

この、手放す、というのは、自分が持っていた相手に対する期待、ジャッジの物差し、求めること、これらを手放すこと。そして、結果を期待せずに宇宙に降伏、未来を宇宙に明け渡すことです。

 

 

 

つまり、自然に相手がツインなのかどうかにこだわらなくなります。そして、相手との未来を、自分で決めるのではなくて、宇宙に委ねるようになります。

 

 

 

 

このように、彼のことを手放すことをするというのは、その意義があるんです。

 

 

 

それは、彼とのことに関わらず、自分の日常生活において、自分が持ってしまっているジャッジの物差し、相手の行動や言葉を善悪で判断すること。期待、求めること。これらのことから、自分自身が解放されるため、なんです。 

 

 

 

 

もし、皆さんが、彼のことを善悪で判断したり、〇〇すべきではない、というジャッジの物差しがあるとします。

 

 

 

もしそうならば、よーく考えてください。彼とのこと以外でも、何かしらジャッジしているはずです。

 

 

 

彼のことをジャッジしている場合、仕事仲間、両親、家族、友達、そういう身近な人のこともジャッジしています。

 

 

 

 

そして、ジャッジしていて辛いのは、ジャッジされる側である彼や仕事仲間、家族ではなく、ジャッジをしているご本人である皆さん自身が辛くなるんです。

 

 

 

 

ですから、彼のことを手放せるようになりますとね、彼をジャッジしたり判断する物差しがなくなっていくということですから、身近な人との人間関係もとても良くなっていきます。

 

 

 

 

ですから、彼を相手にして、私は彼を手放せていない。手放せていないということは、何かしらジャッジの物差しや相手を善悪で判断している自分がいるのだ、と気づくこと。それが、彼が自分の姿を見せてくれている、ということです。

 

 

 

この時に、もし手放せていない場合、無理に「手放さなくては」と思いますと、かえってそのことに固執して、手放すことが起きにくくなります。

 

 

 

 

その場合は、まず、今は手放せていないのだな、と、素直に認めて大丈夫です。

 

 

 

 

そして、そこで、考えてみるんです。なぜ、彼に期待しているのか。何を彼に期待しているのか。なぜ、自分で自分を満たせていないのか。なぜ、自分に欠けたところがあると思っているのか。そのようなことについてです。

 

 

 

 

 

それが、ご自分を見つめる、ということです。

 

 

 

 

そして、自分で自分の心を見つめて、自分で自分を満たしていきますとね、自分の新しい姿に気づいたり、自分の本音に気づいたりして、

 

 

 

 

「いつの間にか、気付いたら手放せていた」

 

 

 

 

ということが起きます。

 

 

 

 

ですから、今のご自分のお考えや現状を否定せずに、たった1つでもご自分でご自分を満たすことに取り組んでみてください。

 

 

 

 

それぐらい、自分自身に夢中になって、様々なこと、今までやっていなかったこと、やりたいのに後回しにしていたこと、それらにチャレンジしてみてくださいね。